貨幣は負債ではなく債権では?

私は、MMT(Modern Monetary Theory、以下MMT)については、大まかには賛成の立場です。しかし、一点、どうしても納得がいかないものがあります。それが、「貨幣は負債である」というMMTの定義です。逆に見えます。負債ではなく、反対側の債権であるように見えます。

「貨幣=債権」、厳密には、「貨幣⊆債権」ならば、以下のような点に関しても問題なく説明がつきます。

  • 会計において現金等は資産として扱われる
  • かつて、金本位制等のように貴金属が貨幣として扱われていた

会計において現金等は資産として扱われる

会計においては、現金等は金融資産として扱われます。「債権⊆金融資産」かつ「金融資産⊆資産」ですので、「貨幣⊆債権」ならば、何の矛盾もありません。

かつて、金本位制等のように貴金属が貨幣として扱われていた

かつて、金本位制等のように貴金属が貨幣として扱われていました。貴金属自体は、資産であり、どう考えても負債ではありません。貨幣が負債ならば、金本位制から現在の管理通貨制の間で資産から負債への反転が起きたことになります。そういう反転が生じるような原因は、見当たりません。

貨幣が債権ならば、「貨幣⊆資産」であることは変わりません。特別な原因無く、移行が可能でしょう。

需要の和や供給の和は客観的に計算できない

需要の和や供給の和は客観的な計算ができない』と書きましたが、これを詳細に説明してみましょう。

需要曲線や供給曲線は、ミクロ経済学の教科書の冒頭に出てきますが、需要の和や供給の和を計算するには、3点ほど、問題があります。

  • 値を足し合わせることができるとは限らない
  • 需要の数量の和と需要の和の数量は同じとは限らない。供給についても同様
  • 『同じ商品』か否かを客観的に区別する基準は一般的に存在しない

値を足し合わせることができるとは限らない

値を足し合わせることができるとは限りません。60℃の湯1㍑と40℃の湯1㍑を一緒にすると100℃の湯2㍑になって沸騰したりはしません。

需要の数量の和と需要の和の数量は同じとは限らない。供給についても同様

値を足し合わせることができても、需要の数量の和と需要の和の数量は同じとは限りません。供給についても同様です。力の和は計算できますが、1Nの力と1Nの力の和が2Nとは限りません。力は、ベクトル量であり、方向性を持ちます。方向の異なる力の和の大きさは、力の大きさの和より小さくなります。

需要や供給は、単純なベクトル量ではありませんが、方向性を持ちます。供給者から需要家への供給の数量と需要家から供給者への供給の数量は同じではありません。

『同じ商品』か否かを客観的に区別する基準は一般的に存在しない

最大と言っていい問題は、『同じ商品』か否かを客観的に区別する基準は一般的に存在しないということです。需要の数量とか供給の数量とかは、同じ商品であってのことです。ところが、同じ商品か否かを客観的に区別する基準は、一般に存在しません。セント・バーナード1匹とチワワ1匹なのか、イヌ2匹なのか、どちらが正しいか、客観的に決定できません。

供給者と需要家が同じ商品であると合意がとれているというのは、個々の取引においてに過ぎません。異なる取引においては、同じ商品であるという合意がとれる保証はありません。

実は、『同じ商品』以前に、『同じモノ』という客観的基準が存在しません。『醜いアヒルの子の定理』という数学の定理があります。純粋に客観的に観ると、醜いアヒルの子と普通のアヒルの子の類似度は、普通のアヒルの子同士の類似度に等しいという定理です。醜いアヒルの子と普通のアヒルの子より、普通のアヒルの子同士の方が似ているのは、特徴点に主観的に重み付けをしているからです。

『同じ商品』、『同じモノ』という分類は、特徴点の主観的重み付けの反映であり、ある種の価値判断の結果です。『同じ商品』、『同じモノ』という分類が絶対性を持つということは、絶対的な価値を仮定することになります。しかし、絶対的な価値というものは、一般に否定されており、経済学においても一般に否定されています。

除菌詐欺に騙されるな

首掛け空気清浄、根拠なし』という記事がありましたが、この手の簡易空気清浄、除菌は、まず、詐欺です。この手の除菌は、ウイルスや菌を死滅させる前に本人が死にます。熱湯消毒は、ウイルスや菌より、人間が先に死にます。

一般に、ウイルスや菌より、人体の細胞の方が弱いです。手や指が消毒できるのは、皮膚というカバーに守られているからです。

ミクロ経済学に騙されないタメに

ミクロ経済学には基礎が無い』を補足、拡張して、説明し直します。

失われた30年などと呼ばれ、長い不況が続いています。この原因はなんでしょうか?私は、その最たるモノは、ミクロ経済学の基礎にある間違いのせいだと考えています。間違った経済学による間違った経済政策。それが、日本をどん底に引きずり込んでいるのです。ここでは、家計や企業等の経済主体を基にしたものをミクロ経済と、経済主体を基にした学問をミクロ経済学と見なしています。

ミクロ経済学において基礎的に間違っている点を2点ほど挙げましょう。

  • 需要の和や供給の和は客観的な計算ができない
  • 一般に、ミクロ経済の判断には取引に付随する費用も必要

需要の和や供給の和は客観的な計算ができない

需要の和や供給の和は、完全には客観的に計算できるものではありません。そもそも、値を足し合わせることができるということが自明ではありません。60℃の湯1㍑と40℃の湯1㍑を一緒にすると100℃の湯2㍑になって沸騰したりはしません。

『同じ商品』でなければ、需要の和や供給の和は計算できません。しかし、『同じ商品』か否かは、完全には客観的に判断できません。セント・バーナード1匹とチワワ1匹なのか、イヌ2匹なのか、どちらが正しいか、客観的に決定できません。

一般に、ミクロ経済の判断には取引に付随する費用も必要

一般に、ミクロ経済の判断には取引に付随する費用(含む時間等)も必要です。価格のみで、取引に付随する費用を省略した部分均衡モデルや一般均衡モデルは、現実の経済では、一般に使い物になりません。

ニュートン力学等では、摩擦の無い運動や完全黒体、理想気体等の理想化・抽象化したモデルを使っています。そういう反論があるかもしれません。しかし、これらは、考慮すべき作用が同時で相互の依存性が無いものです。

相互に依存性が無い場合は、理想化・抽象化したモデルで考え、その後でモデルから外れる作用を追加しても構いません。合成関数の交換が成り立つ、例外的な場合と言えます。しかし、依存性がある場合は、合成関数の交換法則は、一般に成り立たないため、計算の順序が変わらないように、取引に付随する費用も現実の費用と同様に扱う必要があります。

理想化・抽象化したモデルで考えるということは、順序の異なる計算をするということです。交換法則が成り立つ例外的な場合でなければ、許されません。

取引に付随する費用を省略したモデルは、一般に、取引に付随する費用の無い思考実験でしか扱えません。

弱者保護の大きな経済利益

弱者保護は、人道的な面だけでなく、マクロ経済の面からも大きな経済利益をもたららします。弱者保護のために政府支出を増やせば、税収も増えます。社会全体の経済規模も拡大します。そういう効果は、一般に、弱者ほど高く、弱者保護は、マクロ経済の面からも望ましいということになります。

政府支出を増やせば税収も増える

政府支出を増やせば税収も増えます。弱者保護のために政府支出を増やせば、医療関係や介護関係の所得税法人税が増えます。税収が増えます。

もちろん、弱者保護に人道的な面があることは否定しません。しかし、マクロ経済の面だけから見ても、弱者保護には、利益があります。

所得は支出の結果

マクロ経済から見ると、『所得は支出の結果』です。弱者保護のために政府支出を増やすということは、誰かの所得を増やすということです。結局、所得税法人税の税収向上につながります。

たとえ、寝たきりの年金生活者であっても、消費という支出をしているということは、誰かに所得をもたらしているということです。お金を使っているということは、そのお金を誰かが受け取っているということです。

逆に、支出削減のための弱者切り捨ては、税収減少をもたらします。弱者切り捨ては、経済切り捨てにつながります。ある意味、自殺行為です。

経済を伸ばすには消費から

経済を伸ばすには消費から伸ばすことです。より正確には、消費が伸びれば経済は伸びます。『消費こそ経済の基盤』だからです。

経済弱者ほど消費の割合が多い

所得の少ない経済弱者ほど消費の割合が多いです。そういうことが統計的にわかっています。また、少し想像力を働かせれば、所得が少ないど、投資に回す余裕が少ないであろうことがわかります。

したがって、弱者ほど、所得が増えた時に、消費を増やす傾向があります。つまり、消費を増やすには、弱者への配分を高める必要があります。弱者への配分を高めることは、マクロ経済をそれ以上に高めることにつながります。

政府は無限の財源を持つ

政府は無限の財源を持っています。管理通貨制における独自通貨は、いくらでも発行できます。課題は、インフレだけです。そして、インフレ率は、ある程度抑制可能です。

政府は無限にお金を発行できる

政府は理論的には、無限にお金を発行できます。少なくとも、管理通貨制における独自通貨には、理論的な発行の上限はありません。

政府(と通貨発行を政府に委任された中央銀行)は、この通貨により、いくらでもモノを買うことができます。政府は、無限の財源を持っています。課題は、インフレだけです。

ハイパーインフレは無限の財源を持つ証拠

ハイパーインフレ(ハイパーインフレーション、以下ハイパーインフレ)は、政府が無限の財源を持つ証拠です。政府が無限にお金を発行できるから、それを予想して、インフレ、ハイパーインフレが起きることがあります。もし仮に、政府のお金の発行に上限があれば、インフレ率はそれによって制限されます。

インフレ率は抑制できる

インフレ率は抑制できます。簡単には、ハイパーインフレなどにはなりません。ハイパーインフレになるのは、その国の生産力が、戦争や内乱、災害などで壊滅的な打撃を受けたからです。『いきなりのハイパーインフレという大嘘』に誤魔化されてはいけません。

インフレ率を抑制する手段は、いくつもあります。インフレ自体のスタビライザー効果、金利の引き上げ、増税、インフレターゲッティング、構造改革などです。

いきなりのハイパーインフレという大嘘

MMT(Modern Monetary Theory,)の批判などを読んでいるとよく出てくるのが、いきなり、ハイパーインフレになって経済が収拾がつかなくなるという意見です。これは、はっきり間違いです。

いきなりのハイパーインフレと唱えている人々は、価格の仕組みを理解していません。いきなりのハイパーインフレとは、ほとんどの売り手が発狂して、価格を上げるということです。ほとんどの需要家の発狂と発狂した需要家による一致した価格上昇という、二重に非現実的な仮定をしています。

個々の需要家は利潤の最大化を目指す

個々の需要家は個々の利潤の最大化を目指しています。厳密には、利潤最大化の原理ではなく、満足化の原理にしたがいます。しかし、近似としては、利潤最大化の原理でかまいません。

高過ぎる価格は利潤を激減させる

高過ぎる価格は、個々の供給者の利潤を激減させます。利潤どころか、損失が生じることもあります。もちろん、低すぎる価格も、個々の供給者の利潤を激減させます。価格と予想される利潤は、一般に山形のカーブを描きます。したがって、個々の供給者は、利潤が最大になる付近の、程々の価格で売ります。

いきなりのハイパーインフレは需要家の狂的行動を前提にしている

いきなりのハイパーインフレとは、ほとんどの需要家が発狂して価格を上げるという、おかしな行動を前提にしてます。

個々の供給者にとっては、程々の価格で売ることが利潤最大化にしたがうことです。高過ぎる価格で売るということは、利潤最大化に反することであり、発狂したと見なされるでしょう。ほとんどの需要家が発狂するというのは、非現実的です。発狂した需要家が一致して価格を上げるというのも非現実的です。二重に非現実的です。

厳密には、天災や戦争、内乱など、環境が急変して、いきなりハイパーインフレになるリスクは、ゼロではありません。しかし、これらは、それらの環境急変だけでなく、それらを含めた全体について、回避、対処する必要があります。ハイパーインフレという、金銭的部分だけ取り出して対処しても、ほとんど意味はありません。