2023-01-01から1ヶ月間の記事一覧

四重の等価

マクロ経済には、私が、「四重の等価」と呼んでいるものがあります。税等を除外して考えると、ある取引において、「支払い(支払った金額)」と「受け取り(受け取った金額)」、「供給した商品」、「供給された商品」は、等価であるというものです。なお、商品…

経済主体の集合と見るミクロ経済学、取引の集合と見るマクロ経済学

私は、経済を基本的には(企業や家計等の)経済主体の集合と見るのがミクロ経済学、経済を基本的には取引の集合と見るのがマクロ経済学だと認識しています。言い換えれば、ミクロ経済学では経済主体の判断を中心に考えるのに対し、マクロ経済学では経済の仕組…

商品の区別は主観に帰する

『同じ商品でも買い手は売り手を選択する』と書きましたが、もっとトンデモない問題があります。商品の区別は主観に帰するという問題です。商品の区別は、突き詰めると主観から逃れられないという問題です。同じ商品か否かという区別は主観から逃れられない…

GDPはGDEを基とする

GDP(Gross Domestic Product 、国内総生産)はGDE(Gross Domestic Expenditure、国内総支出)を基とすると言えます。『所得は支出の結果』という因果関係が成り立ちますから、GDI(Gross Domestic Income、国内総所得)はGDEを基とすると言えます。「所得=支出」…

電力は例外的2

『電力は例外的1』の続きです。 電力は、構成する機器のいくつかも、商品としても、例外的なものです。 電力は、需要の数量と供給の数量がほぼ完全に常に等しいという、希有な商品です。いわゆる、売り切れや売れ残りはありません。満室や満席で断られたり…

日本経済の低迷を謀る?日本政府

『GDPでドイツに抜かれる?』という記事がありました。GDPの抑制、悪化が政府の方針なのだから、起こり得る結果です。直接的にGDPの抑制、悪化を政府の方針として掲げてはいないにせよ、GDPの抑制や悪化をもたらす多くの政策を推進している以上、政府の方針…

電力は例外的1

限界費用が増大する限界費用曲線の例として、電力を挙げている本がありました。しかしながら、電力は、商品としても、構成する機器のいくつかも、例外中の例外と言えるほど例外的なものです。 原子力発電機器や水力発電機器は、機器として例外的なものです。…

政府の債務は借金ではなく、単なる約束事

発行済み日本銀行券(紙幣)や発行済み円建て国債等が日銀や政府の債務として扱われるのは、「それらを債務として扱う」という約束事の結果に過ぎません。ゼロの階乗を1とするのと同様、単なる約束事です。 nの階乗は、nから1までの積です。ゼロの階乗はゼ…

光は遅すぎる

現実経済の市場は、ミクロ経済学の反証に満ちています。ここに挙げているのも、その一つです。 部分均衡モデルや一般均衡モデル等のミクロ経済学では、価格が一瞬で伝わり、価格の伝わる速さは無限大であるかのように仮定されています。しかし、現実には、価…

ミクロ経済学者は「合理的な人々」ではない

現実経済の市場は、ミクロ経済学の反証に満ちています。ここに挙げているのも、その一つです。ミクロ経済学者に対する皮肉になっています。 経済学の十大原理と呼ばれるものの一つに以下のようなものがあります。 合理的な人々は限界原理に基づいて考える そ…

限界費用からは、夏にホットコーヒーを売り、冬にアイスコーヒーを売る

現実経済の市場は、ミクロ経済学の反証に満ちています。ここに挙げているのも、その一つです。 限界費用から供給の数量を決めたりしていない直接的証拠もあります。限界費用から言うと、夏にホットコーヒーを売り、冬にアイスコーヒーを売るはずだからです。…

商品の限界費用を素早く、正確に知ることはできない

現実経済の市場は、ミクロ経済学の反証に満ちています。ここに挙げているのも、その一つです。 ミクロ経済学の部分均衡モデル等では、商品の供給の数量は、商品の限界費用と市場価格が一致するレベルで決まると仮定されています。しかし、現実経済に合ってい…

なろうのエッセイに転載を始めました

一部のエントリをなろうのエッセイに転載を始めました。こちらに最初に投稿する予定です。

努力は報われないかもしれない

「努力は報われてほしい」という願望は、私にもあります。なろう系とか呼ばれるジャンルに、婚約破棄とかパーティー追い出しとかが多いのは、それが理由の一つかもしれません。いや、異世界転生とか異世界転移ものも、そうかもしれません。 しかしながら、努…

完全競争市場という名の完全妄想市場

現実経済の市場は、ミクロ経済学の反証に満ちています。ここに挙げているのも、その一つです。 完全競争市場ではなく、完全妄想市場、百歩譲っても完全願望市場と呼びたい程です。現実経済の市場をモデル化したものではなく、ミクロ経済学者の願望をモデル化…

世界は売れ残りで満ちている

現実経済の市場は、ミクロ経済学の反証に満ちています。ここに挙げているのも、その一つです。厳密に言うなら、完全競争市場に対する反証です。 日本では、大量の商品が様々な店の店頭で売られています。商品の種類や数の違いこそあれ、大量の商品が様々な店…

損益分岐点分析に反する供給曲線

現実経済の市場は、ミクロ経済学の反証に満ちています。ここに挙げているのも、その一つです。 損益分岐点分析(Cost Volume Profit Analysis)とは、会計分析の一つで、費用・販売数量に基づく利益を分析する手法です。 損益分岐点分析では、費用を固定費と変…

同じ商品を区別しないというミクロ経済学の反現実的仮定

同じ商品を区別しないという、部分均衡モデルや一般均衡モデル等のミクロ経済学の仮定は、反現実的です。ほとんどバカげていると言っていいほどです。なぜなら、私達は一般的な商品を買う時、同じ商品であっても区別しているからです。あまりにも無意識的に…

需要と供給の一致に価格は必要ない

需要の数量と供給の数量が一致することに価格は必要ありません。一致すること自体は、単なる物理的現象に過ぎません。 例えば、水道の蛇口にホースの一方を付けることを考えてみましょう。蛇口からホースに単位時間あたりに流れ込む量とホースのもう一方から…

投資は需要で決まる

投資は需要で決まります。厳密に言うなら、投資の額は、金額換算した需要の数量の予想される値(需要の期待値)で決まります。 投資は、供給のピークが供給能力の上限にある程度近づいた段階で行う必要があります。供給のピークが供給能力の上限で抑制されるこ…

供給は需要で決まる

各々の供給者(売り手)の供給の数量は、その供給者(売り手)に対応する需要家(買い手)の需要の数量で決まります。なお、ここでは、供給の数量が、需要の数量の変化に比べて充分短い時間で変化する場合を想定しています。 供給の数量が需要の数量で決まる理由は…