無断リンク禁止というわがまま(2)

無断リンク禁止については、16日のエントリで紹介したものとは別の流れでも続いていた。

特に気になったのは、以下のところ。

利用者の甘えに無条件に答える責任はありません。無料であれば、発信者にも利用者にも責任はあります。発信側の提示する利用条件をのまないで利用させろと言うのが「甘え」です。

この主張に対して、以下の2点を指摘しよう。

  • リンクすることは、対象を明確にすることに過ぎず、利用することではない。
  • ウェブページにはマイナスの価値を持つものがある。すなわち、害をもたらすものがある。

リンクすることは対象を明確にすることに過ぎない

リンクすることは言及している対象を明確にすることに過ぎない。本の名前を挙げたりするのと同じである。クリックするとリンク先に移動するのは、ブラウザがやっていることであって、表示されていたページがやっていることではない*1

ウェブページにはマイナスの価値を持つものがある

ウェブページにかぎらず、書かれたもの、言われたことの中には、マイナスの価値を持つもの、害をもたらすものがある。害をもたらすものとは、物理的な存在だけではない。誤った情報などは、身体や財産に多大な損害を与えうる。バブルの頃に、株や不動産が天井知らずに上がるといった話に騙されて、多大な損をした例は少なくない。健康にむしろ害がある、誤った健康法なども珍しくない。ウェブページ全体がマイナスの価値を持つことは少なくても、ウェブページの一部がマイナスの価値を持つことははるかに多い。

ある人がマイナスの価値を持つウェブページだと判断しても、書いた本人がそれを認めるとは限らない。むしろ、認めないのが普通だろう。通常は(プラスの)価値があると考えて書いたはずであり、それが間違っていると指摘されても認めないのが普通だろう。仮にマイナスの価値を持つウェブページだと自覚して書いたとすれば、それは悪意を持って書いたということだからなおさら認めるはずがない。マイナスの価値を持つという判断が正しいとはかぎらない。書いた本人の判断の方が正しいかもしれない。

結局、自由に任せるしかない

あるウェブページとそれに対する批判と、どちらが正しいか簡単かつ確実に判断する方法は一般に存在しない。どちらが正しいか判断できない以上、言論の自由に任せるしかない。批判対象を明確にするためにはリンクが必要である。言論の自由を保障するには、リンクの自由を保障する必要がある。

*1:もしかすると、ページが他のページを呼び出していると誤解している人たちは少なくないのかもしれない。特に無断リンク禁止を唱える人たちには。