数学は厳密さを保証しない

経済学が数学を使うのは「その方が楽だから」に他なりません。日常言語は多義的な部分が多いため、それをつかって厳密な議論を使用とすると各タームの定義を下すのに膨大な紙幅を費やしてしまう上、書き手の方もうっかり混乱してしまったりする……それを防ぐために数学という言語を使う人が多いのです。

数学を使っても本質的に楽になるわけではない。数学は想定している経済モデルを厳密に記述するためには役に立つが、想定している経済モデルが現実に対して妥当か否かは全く別の話である。想定している経済モデルが現実に対して妥当か否かは、結局日常使っている自然言語を使って説明せざるを得ない。経済学が数学であり、現実に立脚しているという意味での「科学」ではないとでも主張するならばともかく、経済学が「科学」であろうとするかぎり、日常使っている自然言語を使っての説明からは逃れられない。「科学」において問題となるのは、モデルが現実に対して妥当か否かであって、モデルが数学的に記述されているか否かではない。

方や数式で世の中を解き明かそうとしていると貶され、方や数学を使えぬ輩による文学だと謗られ…」ということになるのは、モデルを厳密に記述するために数学を使用しているに過ぎないことを経済学者が忘れていることが多いからではないだろうか。現実に対して妥当か否かという批判の一方の表れが「数式で世の中を解き明かそうとしている」であり、他方が「数学を使えぬ輩による文学」ということになるのだと思う。