2006-02-01から1ヶ月間の記事一覧

内容を疑うことの限界

システム要件を捉えるために疑り深さが必要であることは否定しない。記述されている内容を全て額面どおりに受け取るのは愚かである。だからといって、疑いさえすればいいというわけではない。「徹底的に疑心暗鬼であり続ける」ようにしたら、時間がいくらあ…

経済学が役に立たない理由(3)

「サービスにおいて供給曲線は成り立たない」と書いた。製品の供給についてはどうだろうか。 価格が変化しなくても需要量と供給量とは物理法則に従ってつりあう 需要量以上の供給能力があれば、価格が変化しなくても、需要量と一致するまで供給量が減少し、…

システムの施工って?

「システムの設計と施工を分離する」というエントリがあった。タイトルだけで頭が痛くなりそうなエントリである。 工学的な設計文書と呼べるのはソースコードだけ ソフトウェア・システムの開発において、建設における施工に相当するフェーズは通常存在しな…

伝言ゲームの悪夢

「情報提供者は誰か」というエントリに一次情報源にリンクすべきだという話がでていた。 情報をちゃんと確認しないと、伝わるうちに歪曲されてしまい、とんでもないデタラメな話になってしまうことがある。そうしたケースは、超常現象の話などによく見られる…

企業の社会的責任(2)

1月25日のエントリに対しての批判があるが、「現実に企業の責任が問われるケースの多くは、企業が社会に損害を与えた場合である」という点をほとんど無視しての批判である。トラックバックしてきたエントリにいたっては、「無責任」という言葉にただ噛み付い…

客観性信仰、合理性信仰、科学信仰(2)

4日のエントリに対して、まさにエントリで批判の対象として想定していたような考え方でのコメントがあった。 「主観的、非合理的、非科学的」とか言うだけなら誰でもできる 「主観的、非合理的、非科学的」とか言うだけなら誰でもできる。言われている方より…

客観性信仰、合理性信仰、科学信仰

客観的、合理的、科学的といった言葉は、どちらかと言えば、信仰とは対立するものであるが、これらの言葉に憧れるあまり、信仰に陥っていることが珍しくない。神に憧れるあまり、神の名を騙る悪魔を崇拝してしまうようなものである。客観的、合理的、科学的…