企業の社会的責任(2)

1月25日のエントリに対しての批判があるが、「現実に企業の責任が問われるケースの多くは、企業が社会に損害を与えた場合である」という点をほとんど無視しての批判である。トラックバックしてきたエントリにいたっては、「無責任」という言葉にただ噛み付いただけのように思える。

手段は目的に対応しているわけで、タクシーが人を轢殺したからといって、タクシーの乗客に責任はございません。

タクシーの乗客側も責任を問われることがある。普通はタクシーの乗客側は責任を問われないが、長期間継続して借り切っているような場合は、自動車損害賠償保障法の第三条でいうところの運行供用者責任が生じ、人身事故を起こした場合には賠償責任を負う。

株主にとって、経営者はお金を増やす道具です。 経営者にとって、株主は資金を得るための道具です。

フリードマンでさえ、「企業」を株主の「道具」と呼んでも、人間である「経営者」を株主の「道具」とは呼んでいないんだが……。ましてや、基本的に全く自由に株式を売買できる株主を経営者の「道具」と見なすのはどう考えても無理がある。
株主を資金を得るための道具と考えている経営者がいるだろうということまで否定しないが、道具として経営者の意図通りに行動するわけではない。

責任は次のように分配されます。 株主:金銭的損失を負う 経営者:行動について責任を問われる。

株主が負う金銭的損失は限定されている。責任が限定されている以上、権限も限定されるべきである。