需要曲線は成り立たない

経済学における均衡信仰4」までを整理し、少しわかりやすく説明しよう。まず、需要曲線から。
需要量は、より正確に呼ぶと、時間当たり需要量であり、時間当たりの変化の量であるフローである。供給量も同様にフローである。1年間の需要量と1日の供給量とが等しくても、需要量と供給量とが等しいとは呼ばない。需要量と供給量とが等しいと呼ぶのは、同じ時間(期間)における需要量と供給量とが等しい場合である。そもそも、1時間なのか、1週間なのか、1年なのか、期間が定まらないと数量も定まらない。
需要や供給は取引、売買というレベルから見ると随所に不連続性がでてくる。各個人は、ある商品を365日、24時間買っているわけではない。買うのは、せいぜい、1日に1回とか、1週間に1回とかである。売る方も、24時間開いているコンビニでも商品が運びこまれるのは、1日に数回である。電気や都市ガス、水道も、契約というレベルからすると1箇月単位とか取引自体は不連続である。
1週間に1回買うということは、1日は買うが、残りの6日は買わないということである。残りの6日は需要が0(ゼロ)であるということである。1日1回買うということは、1時間は買うが、残りの23時間は買わないということである。残りの23時間は需要が0であるということである。ある価格における個人の需要は、周期的なパルスとなる。そしてその周期は個人により異なる。
5人いて各々、ある商品を5日、6日、7日、8日、9日毎に1個買うとしよう。この時、この5人の買う量の合計は、0個から5個まで2,520日周期で変動する。完全に規則正しく買っていてもこのように予測困難な変動が発生する。現実には、病気になったり旅行に行ったりするので、完全に規則正しく買うことはない。周期も、1日の倍数である数とは限らない。7日ではなく、6.9日かもしれないし、7.01日かもしれない。
時間当たり需要量は、このようにランダムに値が変動する。条件が一定で、価格が決まっていても時間当たり需要量は変動する。需要曲線は成り立たない。