無実だからこそ自白する?

名張毒ぶどう酒事件に関連するいくつかのエントリを読んだ。

こうした冤罪か否かを争われている事件では、「自分がやってもないことを自白するわけがない」といった意見が出てくる。だが、これは全くの偏見である。

殺人のような重犯罪で、自分がやったことをすらすらと自白するだろうか?そう考えれば、「自分がやってもないことを自白するわけがない」というのがおかしいことがわかる。自首したようなケースを除き、「やっていようがいまいが、自白しようとはしない」はずである。真犯人であっても、わざわざ自分が犯人だと認めるはずがない。そのくらいなら最初から自首しているだろう。つまり、自白は多くの場合、何らかの強制や誘導の下に行われるものであり、したがって、そこに警察や検察の判断の押し付けが生じるのである。

取調べという異常な状態から逃れようとして自白する。そうであるとすれば、無実だからこそ自白しやすいという可能性すらある。
真犯人ならば、無実であるという証拠が見つかって無罪となることは期待できない。しかし、無実ならば、無実であるという証拠が見つかって奇跡的に無罪となる可能性はある。取調べという異常な状態から逃れようとしてその可能性にしがみついてしまう。もちろん冷静に考えれば、自白した上でそのような奇跡をたのむのは合理的ではない。しかし、取調べという異常な状態においてそのような冷静な判断ができるとはかぎらない。

「自分がやってもないことを自白するわけがない」という意見を述べる人達は、殺人などの重犯罪で容疑者として取り調べられた経験があるのだろうか。自分がやったころもないことを簡単なことだと決め付けるべきではない。