ヒトは脳でモノを見る(2)

「ノーミソの目」の話だが、話がそれていってしまっているように見える。

<ノーミソの目>を応用するというのは、現実の普通の目で見たこと=<事実>と、<ノーミソの目>で見たこと=<推論>あるいは<判断>を区別して受け取ってみようと言うことだ。<事実>は誰の目にも同じように見えるものというふうに考える。

ヒトは脳でモノを見る」で述べているように、「『普通の目』でも実は脳の働きにより見えないものを見ている」のであり、事実は判断に依存している。「そこにイヌがいる」という事実は、「そこにいるのはイヌである」という判断に依存している。
事実が判断に依存していることから、「事実の理論負荷性」とか「認識の理論依存性」とか呼ばれる法則が導き出される。

事実は人の数だけある

事実は判断に依存しているから、ある人が事実と見たことを他の人が事実と認めないことはごく普通に起こる。意見に相違がある時、事実と認めることのレベルで相違があることは珍しくない。意見に相違がある時は、往々にして共通に事実と認められることを明確化することから始める必要がある。