ヒトは脳でモノを見る

「ノーミソの目」というエントリがある。現在、と続いている。「ノーミソの目」とは、「普通の目では見えないものを見る目で、想像の中で見えてくるものを見る目のことを意味している」とのことである。
だが、「普通の目」でも実は脳の働きにより見えないものを見ている。

何故、カタカナの「カ」と漢字の「力」が区別できるのか

手書きで一文字だけ書かれている時、カタカナの「カ」と漢字の「力」が区別できるだろうか?カタカナの「カ」と漢字の「力」が区別できるのは、日本語の知識により文脈から区別しているのであって、字の形など目に直接見えるものだけから区別しているわけではない。日本語の知識により、字の形などからでは見えない違いを見ているからカタカナの「カ」と漢字の「力」が区別できる。
昔の機械式タイプライターにいたっては、数字の"0"や"1"が無く、"O"や"l"で数字を表していた。知識の助けにより見ているから、数字の"0"や"1"が無くても支障がなかった。現在のコンピュータのキーボードに数字の"0"や"1"が在るのは、知識の無いコンピュータで処理する必要があるからである。

見えないものが見える、見えるはずのものが見えない

知識により見えないものを見ることができるだけでなく、逆に知識により見えるはずのもの見えなくなるということも起きる。例としては、「見る」ことではなく、「聞く」ことだが、"l"と"r"との聞き分けがある。日本人には、"l"と"r"とが聞き分けられないとよく言われるが、これは、日本語では"l"と"r"とが混ざっているからである。"l"と"r"とが混ざっているから聞き分けないように順応してしまっているのである。