経済学とニセ科学との類似性

経済学とニセ科学との類似性は意外と高い。

よく似た論法

そういえば先日本屋さんで若田部昌澄さんや野口旭さんの本などをぱらぱらめくっていたところ、経済学の授業で一般向けの経済書を教材に使うといいだろう、と思って中身を見たらデタラメな話が出ていて驚いたといったことが書かれていました。

田中さんの記述やこのような話を読んで思い出したのは、歴史学の成果を完全否定して歴史修正主義にコミットする人たちや、これまでの自然科学の成果を全く無視したり否定してニセ科学にコミットする人たちのことです。

「デタラメな話」と「デタラメと思える話」とは違うのだが、ここらへんを区別せずに語る論法は、実は、「ニセ科学」にもよく見られる論法だったりする。

専門知に対する軽視

専門知に対して素人なりにでもアプローチして有効活用しようというのでなく、己の信念や思い込みを優先してこれを無視したり、場合によっては強く否定してしまうという人間心理は興味深いものがあります。もちろん単に知らないだけとか食わず嫌いというのもあるとは思いますが。

物理的な制限や生物としての人間の制約といった、自然科学の知識を無視した極端な抽象化が経済学、特にミクロ経済学に見られる。

事実の軽視

主流派の経済学、いわゆる新古典派では、生産量を単位量増やすごとに費用が増大するという限界費用逓増を仮定しているが、現実の経済では、損益分岐点分析でもわかるように、限界費用一定とみなしている。限界費用の変動は誤差の範囲と見なされる。