トヨタもセブン-イレブンも否定する経済学(4)

13日のエントリへの反論があった。

言い方がわるぅございました。下請けを急がせたり、工場止めたり稼働率上げたり残業させたりする、とでも言い換えましょう。

工場を止める?生産した商品が全て売れるかのように行動するというのが、均衡モデルにおける前提なんだけど……。生産量当たりの原材料の費用が価格を上回りでもしないかぎり、均衡モデルにおいては、工場を止めたりしない。設備の稼働率や残業時間も、生産した商品が全て売れるかのように行動するという前提の下、利潤が最大になる生産量に応じて、一意に決まってしまう。


「生産した商品が全て売れるかのように行動する」という前提が、(例外的な条件下を除いて)現実的にも論理的にも成り立たないから、供給曲線は成り立たないと言っているのであって、生産した商品が全て売れるかのように行動する」という前提が成り立つのであれば、供給曲線は成り立つ。供給曲線が成り立つ時、供給曲線上の点に応じて設備の稼働率や残業時間も一意に決まってしまう。

そんな理由で需要がランダムで予測できないなんていえば、世の中の予測たる予測はほとんど成立しなくなる。この世の中には保険なんて成立しなくなるだろう。統計は不要なのだろうか?

予測が完全に的中することはない。合理的な人間なら、ある予測に全てのチップを賭けたりはしない。予測が外れることは当然のことであり、予測が外れてもそれによる損を少なくする必要がある。そのための方法がトヨタ生産方式TOC

供給のところでもそうだが、この人は「科学とは・・・」などと御託をたれている割に、モデルを使って物を考えるということの意味を知らない。批判した(気になっている)経済学者よりもモデルを使った思考についてわかっていない。

人間をモデル化する時に、手が4本とか、足が6本とかでモデル化したりしない。そういう人もいるかもしれないが、モデル化する場合は無視できる例外にすぎない。均衡モデルもそういう意味で現実を反映していないモデルであると批判している。手が4本とか、足が6本とかの人間ほど、極端ではないにせよ、例外としてほとんど無視できるような経済に基づいたモデルになってしまっている。