供給曲線という思考停止

トヨタもセブン-イレブンも否定する経済学(6)」のコメントに対応していたら、右上がりの供給曲線というのは、二重の意味で思考停止の産物だなと感じた。供給曲線に固執するという思考停止と供給曲線の論理自体の思考停止である。

供給曲線に固執するという思考停止

需要量と供給量が一致するのは、単なる物理現象として説明できる。供給曲線や需要曲線を引っ張り出してくる必要はない。定常的なフローである以上、「水道の蛇口から流れ出る水の量と水道管の中を流れてくる水の量とがつりあうように、需要量と供給量とはつりあう」のである。モノが宙から湧いて出たり、逆に宙に溶けて消えたりしない以上、需要量と供給量とがつりあわないと物理的に破綻してしまう。川が氾濫したり、水道管が破裂するのと同じである。

思考停止した行動から生み出される右上がりの供給曲線

工場からクルマを出荷するには、その前にクルマを組みたてる必要がある。クルマを組みたてるには、その前にクルマの部品を製造したり、他の工場から仕入れたりする必要がある。商品を供給するには、それに先立ち、加工や仕入れが必要である。すなわち、投資が必要である。この投資の額が商品の供給量を制限する。
投資する以上、その投資の効率を考えるのは当然である。商品が売れなければ投資は回収できないし、売れるのが遅れれば遅れるほど投資の効率は低下する。10,000台分投資して2週間して10,000台売れるより、5,000台分投資して1週間で5,000台売れる方が投資効率が高い。売れた分は再び投資に回せるから、差の5,000台分の投資は別の投資に回すことができる。
需要量を超える供給を行うために投資を行ってお金を遊ばせておくなど、全く非合理的である。「作りすぎのムダこそ最大のムダ」という言葉があるほどで、まともな企業はこんなことが起きないように努めている。

供給者にとって需要量は有限

供給曲線は個々の供給者にとって需要量が∞(無限大)と見なせる場合を仮定していると経済学の信奉者は、主張するかもしれない。だが、個々の供給者にとって需要量が∞と見なせる場合など現実の経済ではまず存在しない。それは、店頭に商品が並んでいることで証明できる。店頭に並んでいる商品は、仕入れたがまだ売れていない商品である。予定していた期間内に売れなかったという意味の「売れ残り」ではないが、まだ売れていないという意味では「売れ残り」である。個々の供給者にとって需要量が∞ならば、「売れ残り」などまず無いはずである。現実には、膨大な量の「売れ残り」が存在する。
供給者にとって需要量が有限だから、「売れ残り」が存在する。一部の極々例外の人気商品を除いて、供給者は需要量を∞と見なしたりはしない。したがって、需要量を∞と見なして供給量を決めたりはしない。