ソフトウェア開発の生産性に関してはまともなデータがない

木走日記に「日本のソフトウエア生産性と品質は世界最高水準」というエントリが書かれているが、残念ながら、品質はともかく、日本のソフトウェア開発の生産性が世界最高水準というのは誤解である。そもそも、ソフトウェア開発の生産性については、評価に耐えるだけの計測データというのが世界的に見てもほとんどない。マーチン・ファウラーが、「生産性は計測不能」と言っているほどである。
ソフトウェア開発に相当するのは、ハードウェアにおける設計である。投入コストが同じなら、100万台売れるモデルを1種類設計する方が、10万台売れるモデルを5種類設計する方より、設計の生産性は2倍である。だが、モデルの数だけ見て、10万台売れるモデルを5種類設計する方が、100万台売れるモデルを1種類設計する方より、生産性は5倍であると錯覚しているケースが少なくない。ソフトウェア工学がその錯覚に陥っており、「日本のソフトウエア生産性と品質は世界最高水準」で取り上げられているクスマノの調査報告もその例外ではない。

見せ掛けの「ソフトウェア開発の生産性」の向上が日本のソフトウェア開発を悪化させた

売れないソフトウェア、役に立たないソフトウェアを開発するほど、見せ掛けの「ソフトウェア開発の生産性」が向上して評価が上がり、売れるソフトウェア、役に立つソフトウェアを開発しようとすると、見せ掛けの「ソフトウェア開発の生産性」が低下して、技術者としての評価が下がる。そのため、真面目にソフトウェア開発に取り組むんだ技術者ほど、開発現場を去らざるを得なかった。