サマータイム制導入という愚行(5)

サマータイム、導入の動き再び」や「サマータイム関連2題」を疑問に読んでいて感じるのは、サマータイム制導入を推進しようとしている人々は、はたしてサマータイム制導入のコストがどの程度になるか、考えたことがあるのかということだ。日時はコンピュータシステムにとって基礎的なデータであり、サマータイム制導入は、兆単位のコストがかかったと言われるY2K以上のコストがかかるおそれが高い。コンピュータシステムにとって、サマータイム制導入は、Y2Kよりはるかに性質の悪い問題となる可能性が高く、途方もないコストに膨れ上がる危険性がある。はたして、兆単位のコストをかけてまで、サマータイム制を導入したいと考える人がどれだけいるだろうか?

サマータイムか否かを時刻の値だけで機械的に切り分けることは不可能

Y2Kの時は、生年月日などのごく一部のデータを除いて、"50/01/01"は1950年1月1日、"49/12/31"は2049年12月31日と見なすなど、日付の値だけで機械的に切り分ける方法が100年周期なので使えた。だが、時刻の値は24時間周期であり、時刻の値だけでサマータイムか否か判断するのは不可能である。したがって、時間を計算したりするには日付の値が最低必要になる。日付の値を引き渡せるようプログラムの全体に渡って見直しが必要となる。

他人の愚行の尻拭いではやる気がおきない

西暦2000年が来ることは単なる時間の経過で誰が悪いわけでもない。年を2桁であらわすことは、初期のコンピュータシステムのハードウェアの制約からは仕方なかった。Y2Kは誰が悪いと言い難い。だが、サマータイム制導入となれば、コンピュータシステムの変更コストも考えずに導入を推進した政治家たちが悪いということになる。政治家たちの愚行の尻拭いをやらされる立場になれば、やる気が起こるはずがない。そして、そのやる気の無さは、生産性の低下や品質の低下に直結する。

途方もないコストに膨れ上がるサマータイム制導入

こうした要因が相乗的に作用するため、サマータイム制導入は途方もないコストに膨れ上がる。Y2Kがコストをかけ過ぎた面があるのは否定できないが、Y2Kより厄介な性質をもつサマータイム制導入が兆単位以上のコストがかかることは確実と思える。