コミュニケーションは失敗する

言葉は曖昧

IT Proに「ユーザーと意思疎通が図れない外部設計書は危ない」という記事があった。だが、そもそもユーザーとの意思疎通はかなりの確率で失敗するものと考えるべきだろう。偶々、ITmediaに「彼女とわたし――伝わらない想い」という記事があった。

エレベーターホールで鉢合わせたのは、ラッキーだった。これが電話でのやり取りだったら、何のことだかさっぱり分からなかっただろう。コトの顛末を理解するまでにかなりの時間を要したかもしれない。だって彼女の言う“コピー”はいわゆる“印刷”、つまりプリントアウトのことだから。これまでの経験から、ユーザーには「印刷」のことを「コピー」と表現する人が少なからず存在するということを学んでいたわたしだったが、それにしてもA美よ、お前もか。

日常的な言葉ですら通じるとは限らない。まして、複雑なソフトウェアの仕様に関して、コミュニケーションがうまくいくと考えるのは楽天的に過ぎるだろう。

コミュニケーションは相互努力が必要

コミュニケーションは、どちらか一方だけの努力で成り立つものではない。掛け算の九九しか知らない小学生に微積分を説明してもわかるはずがない。コミュニケーションは、共通知識を土台として成り立つものであり、どちらか一方だけの努力ではその差を埋めることはできない。コミュニケーションを成功させようとするのは、お金を払う以上のことを「お客様」に要求することである。お金を払う以上のことを「お客様」に要求するのがうまくいかないのは当然だろう。