デフレは滅びへの道

デフレは悪である

デフレは悪であり、デフレを放置することは経済的滅亡につながります。

經濟學者のほとんどは、デフレ(物價全般の低下)は經濟に惡影響を及ぼすと主張する。そしてその多くは、二―三パーセントのインフレ(物價全般の上昇)に戻す政策を提言する。これをリフレ政策と呼び、そのおもな手段は積極的な金融緩和である。だが以前も書いたやうに、デフレが惡とは迷信にすぎない。むしろリフレ政策こそ長い目で經濟を疲弊させ、人々の生活を苦しくする。

以前のエントリで書いたように、デフレは悪です。デフレでは企業の利益が大きく減少します。企業はそれを埋め合わせようとして、賃金を大きく下げます。賃金の低下は消費の低下につながり、企業の売り上げの減少、利益の減少を呼びます。利益が減少した企業は賃金を低下させます。デフレはこのような悪循環を引き起こします。

価格を下げると企業の利益は減る

ほとんどの企業は、価格を下げると利益が減るような水準に価格を設定しています。

デフレとは世の中の物價の大半がおしなべて下落する状況だ。物價が下がれば物が安く買へるやうになる。喜ばない人がゐるだらうか。ところが、かうした素人考へは誤りだと高橋氏は指摘する。たしかに「たとえば給料が変わらないとすれば、物価が下がることはむしろ歓迎すべきこと」だ。しかし實際にはさうではないと言ふ。デフレは人々が働く企業の經營を苦しくするからだ。その理由を高橋氏はかう説明する。

デフレでモノの値段が下がると、多少販売数量が伸びても単価の低下がそれを上回るため売り上げも減っていきます。(p.85)

しかしこれはをかしい。デフレでモノの値段が下がると「多少販売数量が伸びても単価の低下がそれを上回る」と高橋氏は言ふが、なぜ常にさうなると斷言できるのか。單價の低下を販賣數量の伸びで補つて餘りある場合もあるはずだ。

むしろ企業とは、大衆に「より安く、より多く」販賣することによつてこそ成長するものだ。有名企業だけ舉げても、自動車のフォードやトヨタ、パソコンのデル、外食のマクドナルド、衣料のユニクロ等々。賣値を下げても賣上は減るどころか、大きく伸びてゐる。「モノの値段が下がると、多少販売数量が伸びても単価の低下がそれを上回る」といふ高橋氏の主張は、論理的にも經驗的にも誤つてゐる。

確かに、「單價の低下を販賣數量の伸びで補つて餘りある場合もある」は、間違いではありませんが、それは例外です。価格を下げて利益が増えるのなら、デフレとは関係なくほとんどの企業がそうしています。公共料金等の例外はありますが、基本的に価格は企業が自由に決められますから、価格を下げて利益が増えると判断すれば、企業は価格を下げます。ある企業が価格を下げれば、競合する他の企業も顧客を奪われないために価格を下げます。価格を下げて利益が増えると判断する企業がいない状態で価格は安定します。

価格の低下と利益の増大が両立するのは、贅沢品や量産技術が未熟な場合

贅沢品等は需要の価格弾力性が高いので、価格の低下を販売数量の増加が上回ることがあります。また、量産技術が未熟な段階では、累積の生産量が増えるに従って量産技術も向上していくため、多く生産するほど生産コストが下がり、価格も下がるという現象が見られることがあります。

製品の価格が下がってもコストはそれほど下がらない

デフレで物價全般が下落してゐるのであれば、時間差や品目による濃淡はあるかもしれないが、賣上だけでなく、コストも減るはずだ。それぞれ同じだけ減るのであれば、企業經營が苦しくなることはない。賣上が減ることだけを指摘し、コストに言及しないのは片手落ちだ。

コストはさほど下がりません。製品の価格が下がるほどには、下げようがありません。製品の価格が下がって、コストはさほど下がらないため、企業の利益は大きく減少します。企業はそれを埋め合わせようとして、賃金を大きく下げます。先日のエントリを再掲します。

経済活動には時間がかかるということが忘れられています。製品の価格は今の価格でも、その製品に使用した設備や原材料の価格は何ヶ月前、何年前の価格であり、デフレで下がった今の価格ではありません。全ての価格が均等に下がった場合でも、経済活動に時間がかかるため、製品の価格の方が設備や原材料の価格よりデフレの影響を大きく受けます。利益は売り上げと費用の差なので、デフレによるわずかな売り上げの減少でも利益は大きく減少します。売り上げが1%減少すると利益が数十%減少するというようなケースは珍しくありません。赤字となるケースもでてきます。