オブジェクト指向とオブジェクト嗜好

趣味と化したオブジェクト指向

プログラムがまだ不慣れな人が「プログラムちょっとわかるようになったけど、まだぜんぜんオブジェクト指向とかできてません」のように言ったり、ちょっと慣れた人が「このソース、ぜんぜんだめ。オブジェクト指向ができてない」にようなことを言ったり、まるで、オブジェクト指向ができてるかどうかがよいプログラムかどうかを表すことになってるようだ。

そのようなオブジェクト指向は、窓から投げ捨てるべきだ。オブジェクト指向はプログラムのよしあしの基準にならない。

オブジェクト指向は、手段であり、道具に過ぎませんから、本来、オブジェクト指向ができてるかどうかはどうでもいいはずで、プログラムのよしあしの基準にはならないですね。

Javaアルゴリズムの本に、「Javaなのにオブジェクト指向ができていない」のような書評がついているのを見たときには、お前は何を求めてるんだと思ったりもした。

趣味としてのオブジェクト指向、「オブジェクト嗜好」を求めているのでは……。

手段としては、オブジェクト指向であるか否かはどうでもいい

手段としては、オブジェクト指向であるか否かはどうでもいいことです。例えば、プラネタリウムや星座の早見盤は天動説モデルですが、そのことに文句をつける人はいません*1。実用に耐えられればいいのです。天動説モデルのように間違っている場合でも、使用する範囲内で支障が無ければいいわけです。それ以上を求めるのは趣味の領域です。

オブジェクト嗜好なら禁止されても仕方ない

オブジェクト指向を禁止するのはいきすぎだと思いますが、オブジェクト嗜好なら禁止されても仕方ないでしょう。現在、喫煙は多くの日本のオフィスで制限されていますし、就業時間中の飲酒は、ほとんどの日本のオフィスで禁止されていると思います。

*1:ギャグとしてなら登場人物が文句をつけているギャグ漫画がありましたけど