鏡に向かって罵る人々

声高に批判する人々は、えてして、批判されている側よりも、その批判に当てはまるという場合がよくあります。「蟹は甲羅に似せて穴をほる」という言葉があります。その批判の内容は、批判している側の実像を暗示していることがあります。

慰安婦問題の本質は強制連行の有無」とか「朝日の吉田証言撤回で河野談話は破綻」とか、はては「吉田証言はクマラスワミ報告書の依拠する唯一の一次資料」などといった捏造は、その捏造を受け入れたい欲望が存在しているこの社会だからこそ通用しているのであって、国際社会からはとうの昔に死亡宣告を受けています。残る問題は、この社会のゾンビどもがいつ自らの死を自覚するか、でしかないんですね。

騙すことが平気だからこそ「強制連行の有無」に拘る

慰安婦問題の本質は強制連行の有無」などというのは、騙して連れて行くこと、騙すことが悪いと思っていないから、言えるのでしょう。騙される方が悪いとでも思っているのでしょう。捏造という言葉を多用するのは、自分だったら捏造する、という考えを暗示しています。

自分が都合のいい発言を鵜呑みにしているから、他人もそうだと決め付ける

「朝日の吉田証言撤回で河野談話は破綻」とか、「吉田証言はクマラスワミ報告書の依拠する唯一の一次資料」とか、韓国や国連が、吉田証言や朝日新聞の記事を裏付けを取らず、鵜呑みにしているかのように決め付けているのは、自分が都合のいい情報を鵜呑みにしているからでしょう。
人間は間違えるし、ウソもつきます。都合のいい情報でも、いや都合のいい情報だからこそ裏付けをとるべきです*1。釣りにしても多くの獣用の罠にしてもエサで誘うのが基本です。情報戦とか、メディア・リテラシーについて、ある程度理解があればそうなります。自分が都合のいい情報を鵜呑みにしているから、他人もそうしていると決め付けるわけです。

*1:裏付けをとるべきなのは、重要な情報についてです。どうでもいい情報については時間のムダです。