冤罪の恐怖

共に知的障害のある異母兄弟が被疑者となり、捜査段階で「警察が用意した自白調書に署名」、その後無罪を主張するも兄には死刑判決、弟には終身刑の判決が下っていた事件で、新証拠により2人とも無罪となった、とのことです。記事では「知的障害のある人が警察の誘導で容疑を認め、冤罪(えんざい)につながるケースが米国で問題視されている」と指摘されていますが、もちろん日本も他人事ではありません。

4人が逮捕され、2人が虚偽の自白を強いられたパソコン遠隔操作事件がわすか2年前であることを考えると、他人事どころか日本の方が深刻でしょう。私は、無実だからこそ自白しやすいのではないかと疑っています。

真犯人ならば、無実であるという証拠が見つかって無罪となることは期待できない。しかし、無実ならば、無実であるという証拠が見つかって奇跡的に無罪となる可能性はある。取調べという異常な状態から逃れようとしてその可能性にしがみついてしまう。もちろん冷静に考えれば、自白した上でそのような奇跡をたのむのは合理的ではない。しかし、取調べという異常な状態においてそのような冷静な判断ができるとはかぎらない。

死刑という点でも、日本の方が深刻でしょう。冤罪の可能性が高い飯塚事件のような例もあります。

米メディアによると、マッコラムさんは釈放後「いつか出られると思っていた。神に感謝したい」と語った。同州は2006年以降、死刑執行を見合わせているが、執行が続いていれば処刑されていたとみられる。

法務省は29日朝、2人の死刑を執行した。今年6月以来の執行。2012年12月の第2次安倍政権発足以来、執行は6度目、計11人目となった。

私は冤罪で殺されたくないので、死刑には反対です。

私は、私自身が「間違って殺されても仕方ない」とは思えない。だから、死刑制度に反対する。死刑制度に賛成する人たちは、自分自身が「間違って殺されても仕方ない」という覚悟があるのだろうか。