全ての人間はバカである

疑似科学を信奉する人たちに対する見方について議論が続いている。

人間は誰しもそれなりに非合理的

id:mojimojiさんが自分の中にしかない自分定義で「バカであるその人を目的とするようにバカにしろ」と主張するのと同じように、私は私が勝手に一般的な「バカ」の用法だと思ってる「バカ」という単語を使い「彼らはバカではない」と言う。 個人個人が、id:mojimojiさん定義の「バカ」を用いるのならば、誰一人「バカ」でない人は居なくなるだろう。

「全ての人間はバカである」

それはレトリックとしては面白いかもしれないが、対話をしようとするのなら無駄にギラギラと派手な表現に思える。

自分もその「バカ」の一人という「覚悟」があれば、「全ての人間はバカである」と言ってもいいと思う。「人間は誰しもそれなりに合理的」と考えるのと基準が違うだけとも言えないこともないが、経済学やソフトウェア工学に非科学的な大きな間違いがあると認識している私にとって「全ての人間はバカである」というのは実感に近い。

id:mojimojiさんは、「バカはバカなりに人間として人間的に生きているんだ。対話しようではないか。」と言うだろうが、私は「彼らと僕らではない。ましてやバカと賢い人なんかでもない。同じ人間なんだから対話しようではないか。」と言い続けよう。

私はもっと悲観的に「バカとバカなんだから対話が失敗しても当然だ」と考えてしまう。対話しようとする人を否定しているつもりはない。だが、非効率な対話を続けるには、やるべきこと、やりたいことが多すぎる。

疑似科学にはまるのは交通事故に遭うようなもの

疑似科学にはまるのは交通事故に遭うようなものと私は考えている。注意深い行動により事故に遭う確率は下げることができるがゼロになるわけではない。同様に懐疑的に考えることにより疑似科学にはまりにくくなるがゼロにはできないだろう。「全ての人間はバカである」と考え、自分もその一人だと認識していれば、疑似科学にはまることをかなり防げるのではないかと思う。はまりかけても軽症のうちに脱却しやすいのではないかと思う。