情報は信頼できるのか?

ブログの信頼度をソフトウェアで数値化しようとする試みがあるそうだ。

奥村教授はblogWatcherの将来について、「他のブログ検索との差別化として、マイニングの部分を精緻化していこうと考えている」と話し、そのひとつの方向性としてブログの信頼度指標を実装させることを挙げた。

試みを否定するつもりはないが、信頼度指標が欲しいのはブログだけではない。

専門家にまで広まってしまったおかしな知識

一次情報についてそれなりのオーソリティーを持っているマスメディアと異なり、個人が書いた特定のブログに書かれた情報がどの程度の確からしさを持っているのかを、読む側が知るのは非常に難しい。

「どの程度の確からしさを持っているのかを、読む側が知るのが難しい」のは、ブログだけではない。
ブログどころかウェブが普及する前に、おかしな知識が専門家にまで広まってしまった例に以下のようなものがある。

アダム・スミスは「神の見えざる手」という言葉を使っていない

アダム・スミスが「神の見えざる手」という言葉を使ったと書かれていることが多いが、「悪魔の見えざる手」のエントリで述べているように、その根拠は見当たらない。「諸国民の富(国富論)」の中では、単に「見えざる手(invisible hand)」という言葉が、ただ一箇所使用されているだけであり、「神の」という絶対的な形容はなされていない。

カエルはゆであがらない

「カエルを水の入った鍋にいれ、徐々に加熱してゆくとゆであがるが、いきなり熱い湯の中にカエルを入れると逃げてしまう」というのが、「ゆでガエル」の話である。だが、以下のページで指摘されているように、変温動物であるカエルは、水の温度が上がれば活発化して鍋から跳び出てしまう。

ウォーターフォール」と言い出したのは誰かわからない

ソフトウェア開発を分析、設計、実装、テストといったフェーズに分けて、ウォーターフォール(滝)のように後戻りなく開発していくのが、ウォーターフォール型ソフトウェア開発である。だが、「ウォーターフォール型開発が失敗する理由」のエントリで述べているように、もととなった論文では、「ウォーターフォール型」ではなく、「ウォーターフォール」という言葉も使われていない。

ブログも他のメディアと同様信頼できない

私が調べることができただけでも、以上のようなものが見つかった。「個人が書いたブログは信頼できないが、他のメディアも同じくらい信頼できない」ぐらいのつもりでいた方がいいと思う。