フローチャートはソフトウェア設計を阻害する

過去の遺物であるフローチャートが、なぜか話題になっている。

フローチャートでソフトウェア設計しようとするなんて片脚で走ろうとするようなもの

フローチャートは、ソフトウェアの設計には役に立たない。それどころか、フローチャートを使うとおかしな癖がついてまともにソフトウェア設計ができなくなるおそれすらある。
プログラムはアルゴリズムとデータ構造の両方が重要だが、データ構造の方が重要なケースも多い。だが、データ構造が記述できないフローチャートでは、データ構造主体のプログラムはまともに記述できない。

フローチャートでは設計書にならない

ここではフローチャートの是非を論じるつもりはない。クソだから。もっと一般化してしまえば、○○設計書みたいに「設計書」と名のつくものは全部クソだ。だって動かないんだもん。

動く、動かない以前に設計書としての厳密さが無い。設計書としての工学的厳密さをもっているドキュメントは、仕様記述言語で記述されたごく例外を除き、ソースだけである。

私は自らが理解しているソフトウェア開発のライフサイクルを再吟味することにより,工学的な設計基準を本当に満足しているソフトウェア・ドキュメントというものが,ソースコード・リスティングだけであるという結論に到達したのです。