収穫逓減という周転円

均衡モデルでは、右上がりの供給曲線を説明するために、生産量が増えるほど生産量あたりの費用が増え利潤が減るという、「収穫逓減(費用逓増)」の仮定を置いている。 関さんのエントリにおいては、収穫逓減を「近代産業では現実にはあり得ないナンセンスな原理」と呼んでいるが、天動説における周転円のようなご都合主義な仮定と呼ぶ方がよりふさわしいように思う。天動説においては、太陽をはじめ、全ての天体が地球の周りを回っているという誤った前提を置いた。それで、惑星の複雑な動きを説明するために、円の周りをさらに円をえがいて回るという周転円を仮定せざるを得なかった。均衡モデルでは、供給曲線と需要曲線の交点で価格と数量とが決まるという誤った前提を置いた。その誤った前提の下で、経済の安定性を説明するために供給曲線は右上がりであると仮定せざるを得なくなり、右上がりの供給曲線を説明するために収穫逓減を仮定せざるを得なくなった。

収穫逓減は、事実としてもほとんどの産業において見られないし、論理的にもおかしい。費用は、原材料費など生産量が増えるにしたがって増える変動費と、不動産の賃貸料など生産量に関係なく一定の固定費とに大別できる。固定費という点から、生産量が増えるほど生産量あたりの費用は減少する収穫逓増(費用逓減)となる。また、生産量が多ければ多いほど、分業が可能になり生産性が向上する。分業による生産性向上が期待できない場合でも、熟練による生産性向上は期待できる。これらの点からも、収穫逓増となる。また、費用が発生するのは製造だけではない。現代の産業では、研究開発にも巨額の費用がかかる。研究開発費は生産量に連動しないため収穫逓増となる。ソフトウェアなどは費用の大部分が開発費である。そのため、ソフトウェア産業では極端な収穫逓増となる。

生産量が増えるほど生産量あたりの費用が増え利潤が減ることはあり得ないわけではない。一つは、生産要素に制約がある場合である。例えば、土地の売買が禁じられ、耕作する土地の面積を増やせないような場合である。このような場合、農作物の収穫を増やそうとすればより労力をかけるしかなく、労力をかければかけるほど労力あたりの収穫は低下する。このように、ある生産要素の売買が禁じられたような特殊な場合には、収穫逓減となり得る。しかし、一般には、制約となっている生産要素を買い増すことにより制約から解放されるので、収穫逓減とはならない。

また、生産量を増やすことが原材料の不足を招くような場合も、収穫逓減となる。しかし、これは独占や独占に近い寡占でなければ成り立たない。個々の生産者の生産量が市場全体の生産量に比べて無視できるほど小さい場合には、個々の生産者が生産のために費やす原材料も市場全体で生産のために費やす原材料に比べて無視できるほど小さくなるからである。むしろ、現実には原材料あたりの取引コストが低下するため、生産量を増やすと生産量あたりの原材料費は低下することが多い。

このように、収穫逓増はごく特殊な場合にしか見られない。それに対して、収穫逓増となる様々な要因が存在し、現実にもほとんどの場合に収穫逓増となっている。

(訂正)
誤:「右下がりの供給曲線」
正:「右上がりの供給曲線」