本物のプログラマ

浮ついた「ギーク」への説教(※老害注意)”というエントリがちょっとした話題になっている。

「あくまで半分冗談の老害トーク」と書かれているが非常に気になる点が2点ほどある。

ソフトウェア工学は半信半疑で

つまり、要点としては、コンピュータ・サイエンスとソフトウェア工学は、みっちりおさえてこそ、プログラマということ。

コンピュータ・サイエンスはともかく、ソフトウェア工学は、鵜呑みにするのはかなり危険である。ソフトウェア工学は、「ソフトウェア職人気質」の29ページにおいて、「皇帝が本当に着るべき着物を着ているかどうかについて話をする時が来ました」と裸の王様(原題:The Emperor's New Clothes)の服に喩えられているほどである。
ソフトウェア開発を理解していない人々(2)」で書いているが、ソフトウェア工学は、ソフトウェアの規模でソフトウェアの生産量をあらわすという、大きな間違いを犯している。「生産性は計測不能」であるかはともかく、生産性について大きく間違っている。ソフトウェアの規模は、ハードウェアの規模がそうであるように諸元の一つに過ぎない。

プログラマの低レベル化は産業の成熟によるものではない

「天才職人が減るのは、産業の成熟化に伴う現象」と「産業の成熟化に伴うプログラマーの低レベル化は不可避な現象」とでは意味合いが違うと思う。産業の成熟化に伴い平均レベルが向上し、天才でなければできなかったようなことを平均よりやや上のレベルでもできるようになる。したがって、天才を感じさせる職人は減少していく。これならば問題はない。だが、今の日本では、平均レベルの低下が起きつつあるかのように思える。これは産業の衰退である。成熟せずに衰退しつつあるかのように思える。