無断リンク禁止というわがまま(3)

無断リンク」についてまた話題になっているらしい。「無断リンク禁止というわがまま」や「無断リンク禁止というわがまま(2)」に書いてきたように「無断リンク禁止」というのは、自分の権利は主張して他人の権利は否定する「わがまま」だと思う。無断リンク禁止がわがままだという考えは変わらないが、最近の議論を読んで気づいたのは、わがまま以前に、事実誤認というか、事実に関する認識の間違いがあるのではないかということである。

公開したものはある意味自分のものではない

どうも、「自分が書いたもの」と「自分のもの」の区別ができていない人が多いようだ。自分が書いたページ、自分が書いたエントリは必ずしも自分のものではない。一旦、公開するとそれらは、ある種の共有が起きるため、単なる自分の所有物とは言えなくなる。一旦口外した言葉を消してしまえないのと同じである。聞かなかったことにしてくれる人もいるが、それは好意でしてくれるだけであり、強制できるものではない。
ブログやWebページは、一見、形あるものであるかのように見えているから、「自分のもの」であるかのように錯覚するのかもしれない。だが、それは本質的には音を伝える空気と同じで単なる媒体に過ぎない。自分が口にした言葉が自分の自由にならないように、自分の書いたものも自分の自由にはならない。

リンクすることは対象を明確にすることに過ぎない

無断リンク」に関連して、各コンテンツにリンクする、いわゆるディープリンクも話題になっているが、これも事実誤認によるものだと思う。「無断リンク禁止というわがまま(2)」で既に書いているが、リンクすることは対象を明確にすることに過ぎないから、それを制限しようとするのは、登場人物のセリフを取り出して言及するのを制限しようとするのと同じである。ディープリンク禁止を唱える理由をシャアなら、「ボウヤだからさ」と斬って捨てるだろう。