生産性の計測に関する議論

ん〜、IQ低いからよくわからんのですけど、「生産性は測定不可能」ってことは良い・悪いって判断はまったく出来ないってことですよね。でも定性的には「あいつ生産性低いな〜」とか感じたりするのも事実ですよね。だから生産性の優劣というのは現実にはあるじゃん、と思っちゃうのです。

そういえばバンドやってたときには「バラードで泣いた女の子の数」というのを測ってましたよ(w ライブの時に自分の曲じゃなくてリーダーの曲で女の子が涙をぽろっとさせてるのを鍵盤越しに見た時には悔しかったもんです(^^; 指標なんてそんなもんだと思うんだけどね。

生産性を決めるときに難しいのが生産物の質を含めるから。 だからそれ以外の決められる部分を決めることある程度の評価基準をつくることはできる。 スタロジのマジカ積算もそうだし、スクラムバックログやXPのストーリーカードもそう。

その意味では生産性ははかれるし、はかるべきなんだろう。

多分、Martin Fowlerの「生産性は計測不能」辺りを踏まえたもの話なのだろう。

設計手法などのソフトウェアプロセスについて、感情的に議論されているのをよく目にします。しかし、その議論に答えを出すのは不可能です。ソフトウェア産業では、ソフトウェア開発の効果要因を計測する術がないからです。特に、生産性を合理的に計測する方法はありません。

確かに「生産性は計測不能」と言っているが、Martin Fowlerの主張の重点はそこではなく、誤った生産性計測の害にこそあると思う。

「生産性の計測」に魔性の力があるのは分かります。生産性を測ることができれば、ソフトウェアを今よりも簡単に、より客観的に評価することができるからです。しかし、偽りの計測方法では事態は悪いほうにしか進まないでしょう。この点について我々は、自分たちの無知を認めねばならないように思います。

誤った生産性計測をするくらいなら、「生産性は計測不能」としてあきらめてしまった方がまだマシ、というのが、Martin Fowlerの考えのようだ。私も、「生産性に関する最大の問題は、ほとんどの人が生産性ではないものを生産性と誤解して誤った方向への努力をしていることにある」と書いたことがある。

何が正しいかじゃなくて、何が自分たちにとって意味があるか、だと思う。

そのとおり。だが、何が意味があるかは人により大きく異なる。人により大きく異なるのに、同じだとして他人に押し付けるから問題を引き起こしている。