プログラムの価値(3)

後出しが反則なのはジャンケンだけではない

後から勝手に前提を付け加えたら議論にならない。

運用コストがかかるシステムは、「負債」という定義らしい。すなわち、この定義に従うと、会社も政府や自治体も、それどころか人間自身も「負債」ということになる。

人間自身も「負債」であり、「無いほうがいい物」と言い切ってしまうのであれば、当然、「プログラマーは本質的に経済的価値をもつ存在ではない」ということになるだろう。

当たり前の事。

人であろうが何であろうが、現時点でも将来的にでも直接付加価値を生まず、コストだけがかかるのであれば「負債」であり企業にとって「無いほうがいい物」に決まってる。

「コストだけがかかるのであれば」ね。私の文にも、元の以下の文にも、「コストだけがかかる」なんて書いてないのだが……。

ユーザーはシステムが欲しいのでは無く、ビジネス上の制約を(緩和|最適化|無効化)したいだけですから、システムは(当然プログラムも)コストです。 負債です。 無いほうがいい物です。

コストがかかるシステムは、それによりどんな巨大な利益を得ることができても「負債」である。と、言っているようにしか読み取れないから批判しているのであって、最初から「コストだけがかかり、利益を生まない」とか書いていれば、誰もそこを批判したりはしない。

経済的価値は絶対的なものではない

「経済的価値」とか話題にするのなら、経済学でいうところの限界効用逓減まではいかないまでも、経済的価値が絶対的なものではなく、「1+1=2」とかが成り立たないことぐらい理解しているべき。

プログラムには経済的に価値がある? じゃあ山ほど作ればいいじゃん。

プログラマーには経済的な価値がある? じゃあ山ほど雇えばいいじゃん。

コストは比例して増えても、価値は比例して増えないから、そうやると、コストの増加が価値の増加を追い越してしまう。だけど、それは、経済的に価値がないからではない。