完全競争市場という天動説

現実の市場とは似ても似つかない完全競争市場

前置きはさておき、今回取り上げたいのは、失業について。失業が起きる原因を一言で言ってしまうと、労働市場が不完全競争だからということに尽きる。もちろん景気の上げ下げや技術革新、政府の政策などさまざまな要素が関わっているけれども、それでも究極的には「労働力」という商品の(あるいはある特定の技術や知識を持った「労働力」の)需要と供給がマッチせずに(供給過多になって)売れ残っているわけで、単純に言えばそれは市場が不完全だからということになる。

完全競争市場は、現実の市場の近似とは言い難い。完全競争市場が現実の市場の近似ならば、天動説だって現実の天体の動きの近似である。

現実の市場は、ある意味独占市場に近い

現在の景気悪化で見られる「数量調整」は、現実の市場の多くが独占市場(より正確に言うと独占的競争市場)の一種であると考えると、容易に説明できる。

経済が不均衡に陥ったときの調整に関する新古典派経済学ケインズ経済学の大きな違いは、前者が「価格調整」によって早晩均衡を取り戻す、としているのに対し、後者は、「数量調整」が生じるため、放っておくと経済は破局に向かう可能性がある、とする点である。「価格調整」の見方というのは、過剰な労働力と過剰な生産物があるなら、賃金の下落と物価の低下によって、完全雇用と完売状態に向かう、という見方のことである。それに対して、ケインズ的な「数量調整」の見方とは、物価や賃金を据え置く、ないし、緩慢な低下にしたまま、リストラと生産量の縮小によって完売を実現する、という見方である。今、眼前で展開しているのは、「かなりな規模の数量調整」である。

大雑把に言って、不況になると

価格は柔軟に変化すると考える新古典派は企業は価格を低下させて生産量は減らさないと考え 短期には価格の硬直性があると考えるニューケインジアンは企業は価格を変えずに生産量を減らすと考えます(と矢野は大雑把に理解しています)

今回の鉱工業生産指数の大幅な落ち込みはどちらかと言うとニューケインジアンのモデルと整合的だと思いますが、このような急激な変化をそれだけで説明できるかは大きな課題だと思っています。

企業が価格を下げずに生産量を減らすのは、独占市場でかつ需要の価格弾力性が1より小さいとすれば、当然の結論になる。需要の価格弾力性が1より小さいという仮定は、一部の贅沢品を除けばほぼ常に成り立つ。

完全競争市場の誤った仮定

単純なモデルはいろいろな条件をオミットしているわけだから、現実に合わない点というのは当然出てくるし、ツッコミどころもいっぱいあるはずだけど、単純化が切り落としたところにツッコミを入れてもあまり反論として有効ではないことがありますね。

完全競争市場においては、交通費や移動時間などの取引にかかるコストを無視している。これを単純化と見なしている経済学者が多いが、これは「誤った仮定」の典型である。単純化ならば交通費や移動時間などの取引にかかるコストを「完全競争市場」に取り入れたモデルが、比較的簡単に作れるはずである。実際、摩擦を取り入れたニュートン力学のモデルは珍しくない。

完全競争市場を現実の市場にあてはめるにはモデルをゼロから作り直す必要がある

完全競争市場を現実の市場にあてはめるには、モデル構築の最初からやり直す必要がある。経済行為には順序性がある。店に行ってから商品を買うのであって、その逆ではない。取引の前に、交通費や移動時間などの取引にかかるコスト(の一部)について判断を下さなければならない。完全競争市場モデルに、取引にかかるコストを追加するわけにはいかない。合成関数f(g(x))は、一般にg(f(x))と等しくない。この数学法則を忘れてしまったことに経済学の問題がある。