プログラムの価値(2)

やっと先日話題にしたとんでもないエントリに書いてあることがわかった気がする*1

なぜなら「プログラム」は本質的に経済的価値を持っているわけではないので、プログラムを作る人、すなわちプログラマーは本質的に経済的価値をもつ存在ではないからです。

ある意味、「本質的に経済的価値を持っている」ものなどこの世にない。すなわち、ここは、「全てのものは、本質的に経的価値を持っていないので、プログラムもプログラマーも経済的価値をもつ存在ではない」と言ってる。ある意味正しいが、プログラムやプログラマーをあえて挙げる必要はないだろう。

独自的過ぎる言葉の定義

独自的過ぎる言葉の定義をしていると気づいたのは、以下のやりとりからである。

ユーザーはシステムが欲しいのでは無く、ビジネス上の制約を(緩和|最適化|無効化)したいだけですから、システムは(当然プログラムも)コストです。 負債です。 無いほうがいい物です。

→負債と投資とをごっちゃにしちゃいかんな。

言葉足らずでよくわからんが…。

システム導入するときに運用コストを考えないタイプの人?

運用コストがかかるシステムは、「負債」という定義らしい。すなわち、この定義に従うと、会社も政府や自治体も、それどころか人間自身も「負債」ということになる。
人間自身も「負債」であり、「無いほうがいい物」と言い切ってしまうのであれば、当然、「プログラマーは本質的に経済的価値をもつ存在ではない」ということになるだろう。

*1:エントリに同意するという意味ではない