経済学者に論理的思考を期待してはいけない

小飼氏のエントリを見ても思ったのだけど、日本の経済学者という人種は、数理モデルを組み立ててシミュレーションしてみるとか、それ以前の「論理的な構成」ということを考察したり検証したりする習慣はないんだろうか? そういったことなしに、「理論っぽいもの」を吐かれても、それは疑似科学とか妄言の類と大差ないと思うんだが。

日本の経済学者に限った問題ではない。演算の順序性を無視して、非論理的に考えるというのは、ほとんどの経済学者に共通する欠陥である。極端に言うなら、経済学者は「1足して2倍する」のと「2倍して1足す」のとの区別ができない人種ということになる。

経済学者は経済行為に順序性があることを理解していない

店に行って商品を買うのは、以下のような順序になるのは(経済学者以外の)誰にでもわかることである。

  1. 店に行く
  2. 買う
  3. 店から戻る

この順番を入れ替えることはできない。したがって、店で価格を見て判断を下す前に、「店に行く」という決定をしなければならない。買う前に、店に行くためにかかる時間や交通費に関する判断を下さなければならない。経済行為に順序性があるため、一種の演算である経済判断にも順序性がある。演算の順番を入れ替えたら、一般に同じ答えにならないことは言うまでもないだろう。

経済学のモデルのほとんどは代価以外の取引に付随するコストがゼロであることを前提にしている

経済学者の多くは、経済学のモデルが取引にかかる金銭的、時間的コストを捨象したモデルだと誤解している。だが、経済行為には順序性があるため、取引を行った後で、取引場所に行くコストを考えるというようなことはありえない。モデルを適用する前に取引に付随するコストについて考慮しておく必要がある。モデルを適用する時点で、取引に付随するコストがゼロであると考えるということは、取引に付随するコストがゼロであることを前提にしたモデルであるということになる。ニュートン力学の基礎的モデルでは、摩擦を捨象して考える。だが、それができるのは、摩擦が重力などの他の力と同時に働くからである。同時だから後回しにして考えることができる。経済行為には順番がある。店に行くという取引に付随する行為は、商品を買う前にしかできない。取引に付随する行為を全て後回しに考えるというのは、取引に付随する行為を考えないことに他ならない。

現実の経済には経済学のモデルの多くは適用できない

完全競争市場に代表される経済学のモデルのほとんどは代価以外の取引に付随する金銭的、時間的コストが(数学的意味で)ゼロであることを前提にしている。そのため、代価以外の取引に付随する金銭的、時間的コストがかかる現実の経済には、それらのモデルの多くは適用できない。