完全競争市場という名の完全妄想市場

現実経済の市場は、ミクロ経済学の反証に満ちています。ここに挙げているのも、その一つです。

完全競争市場ではなく、完全妄想市場、百歩譲っても完全願望市場と呼びたい程です。現実経済の市場をモデル化したものではなく、ミクロ経済学者の願望をモデル化したものと言えます。ミクロ経済学者の現実経済の市場がこうなっていて欲しいという願望をモデル化したものが、完全競争市場と言えます。

完全競争市場は、以下のような条件を満たすものとされています。

  • 材の同質性
  • 参加者の多数性(需要家や供給者の数が無限大と見なせる)
  • 完全情報
  • 参入・退出の自由

これらのうち、最も問題になるのが、「材の同質性」です。保有しているだけなら、「材の同質性」を満たしても、取引する際には、「材の同質性」を満たさないということが起こりえます。つまり、保有している「材」としては同質性を満たすが、取引する商品としては同質性を満たさないということが起こりえます。むしろ、普通に起きています。それが、『同じ商品でも買い手は売り手を選択する』ということです。

ある一般的な商品を買おうとすると、買いに行くとか、ウェブサイトを訪れるとかの手間がかかります。こうした、移動等の取引に付随する費用が商品の代価(価格と数量の積)とは別に発生します。ここでは、時間も費用として扱う必要があります。このように、取引条件に差が生じるため、保有しているだけなら、同じ商品、同じ材として扱えても、取引をする時点では、異なる商品、異なる材であるかのように扱うということになります。

異なる商品、異なる材であるかのように扱うということは、「材の同質性」を満たさないということで、完全競争市場の条件を満たさないということです。それだけではなく、需要の数量の和や供給の数量の和を単純には計算できないということです。例えば、リンゴ1個とミカン1個がある時、「リンゴ1個とミカン1個」と「果物2個」のどちらと見るのが正しいのかは、客観的には決められません。異なる商品、異なる材として扱うということは、単純に和を計算したりはできないということです。もちろん、単なる物理的数量として扱えば良い場合は、単純に和を計算して構いません。

このように、保有しているだけなら「材の同質性」が成り立っても、取引をする時は「材の同質性」は一般に成り立ちません。取引条件に差が生じるため、取引全体の費用が異なり、ある種の独占市場に成ります。これが『現実の市場は小さな独占市場の集合』ということです。

取引相手を選択していることは、時間の経過と取引相手の数が比例しないことでもわかります。『一年間に訪れる店の数は、一週間に訪れる店の数の50倍位になるはずです』ということになります。同じ商品を同じものとして扱っているならば、どの店から買っても良いはずです。しかし、実際には、住む家の近所や通勤・通学先の近所、通勤・通学の経路の近所といった、限られた店からしか買いません。つまり、ほとんど無意識的に選択しているということです。

一部の取引所のように、取引が成立するまで、取引相手がわからないという場合もあります。取引相手によって差が生じず、取引条件が同じになる仕組みになっています。しかし、この場合、「材の同質性」を確保するため、取引の仲介者が必要です。仲介者が材を確認しないと同質性が保てません。この場合、仲介者の「参加者の多数性」や「参入・退出の自由」には、無理があります。仲介者の利潤と、仲介者の「参加者の多数性」や「参入・退出の自由」は、矛盾します。仲介者の利潤を否定すると、仲介者に無料奉仕を求めることになります。仲介者のなり手がいなくなってしまいます。

(2023/01/23修整:箇条書きが乱れていたのを修整)