個々の需要家は一人の供給者からしか買わない

ほとんどの現実の市場において、ある商品を買う時、「個々の需要家はたった一人の供給者からしか買いません」

これは、一種の比喩であり、そう見なすことができるということです。そう見なして、供給者の行動も考えることができるということです。

「個々の需要家はたった一人の供給者からしか買わない」ので、現実の経済は、小さな独占市場の集まりとなります。独占市場の境界付近では、いわゆる裁定取引が成り立ち得るので、単純に独占市場が集まっただけのものとは、やや違います。

入手したものの区別の基準と、買う時の区別の基準は異なる

入手したものの区別の基準と、買う時の区別の基準は異なります。これは、時間の経過で基準が変化するという意味ではありません。買う時は、買うための移動等の取引に付随する費用(以下、移動等の費用)が発生するので、それが含まれなければならないということです。移動等の費用を無視していた、これまでのミクロ経済学では、両者の違いは意識されませんでした。しかし、移動等の費用を含めると、両者は異なるものになります。また、移動等の費用を含めると、需要家と供給者との移動等の費用は、需要家毎に別のものとなります。大まかには、移動等の費用は、需要家と供給者との距離に比例するような関係になります。

各々の需要家は特定の供給者からしか買わない

各々の商品について考えると、ある商品について、各々の需要家は、その需要家にとって特定の供給者からしか買いません。

例えば、コンビニエンスストア(以下、コンビニ)は、日本フランチャイズチェーン協会の2024年1月度の統計によると、店舗数が5万5千以上となっています。このエントリーの読者のほぼ全ては、この内の1%にすら行ったことがないでしょう。おかしな感じですが、ほぼ全てのコンビニに行ったことがないということです。行ったことがあるコンビニこそ例外だということです。

選択するのは、基本的に供給者であって商品ではありませんが、供給者を選択することにより間接的に商品選択することになります。つまり、商品を無差別選択するという、完全競争市場における仮定は成り立ちません。無差別選択どころか、例外的な極々一部の商品のみが選択されます。

需要家の移動については別の需要家に変わるかのように考える

需要家が移動することについては、移動することにより別の需要家に変わるかのように考えることができます。需要家は、通勤や通学等のため移動します。これらにより、別の需要家に変化するかのように見なせます。供給者にとって、需要の数量や顧客の数の観点からは、個々の需要家を一貫して識別する必要はありません。したがって、需要家が移動により別の需要家に変わるかのように見なすことができます。

なお、宣伝や広告の観点から、供給者が、需要家を識別することを否定するものではありません。

複数の供給者が競合する需要家は需要の数量を分割して考える

ここまでのように考えていくと、需要家と供給者は、ボロノイ図と呼ばれるもので近似できます。供給者がボロノイ図の母点となり、母点からの距離で分割します。境界上に当たる需要家については、要家は需要の数量を分割して考えることができます。例えば、一人の需要家の代わりに、半分の需要の数量の需要家が二人いて隣り合うと見なすことができます。

このように見なしていくと、個々の需要家はたった一人の供給者からしか買わないと見なすことができます。結果として、現実の経済は、小さな独占市場の集まりとなります。

補足

同じ商品という大ウソの末尾で述べているように、分類の主観性はみにくいアヒルの子の定理で証明されています。

また、株式等の取引所を介する商品の市場や、労働市場のような供給者の方が需要家より多い市場は、別に扱うつもりです。