色々な方向から見るべき

経済学を疑え!」というブログの「利益と健康のジレンマ:巨大製薬企業の原罪」というエントリーを読んで、ちょっと、反ワクチン側に偏っているなと感じました。もっと、別な見方もできるのに、と感じました。

予め、私の見方を断わっておくと、私は、「経済学を疑え!」どころか「経済学を信じるな!」、「学校で教えられる経済学は間違いだらけ」というような、超経済学懐疑派とでも呼べそうな考えの持ち主です。「商品1個ごとにレジに並び直す?」とか「同じ商品という大ウソ」のようなミクロ経済学の基本がおかしいというエントリーも書いていますし、「完全競争市場という名の完全妄想市場」と言っているほどです。経済に関しては、「経済学を疑え!」のブログに頷ける箇所も多いです。しかし、ワクチンに関しては、いわゆる反ワクチン派に傾倒しているかのように思えます。

エントリー中で特に気になったのは、以下の3点です。

  • 少し変えると反ワクチン側に対しても同様のことが言えそう。
  • ある程度の対症療法は必要。
  • 巨大製薬企業は一枚岩ではない。

少し変えると反ワクチン側に対しても同様のことが言えそう

この「利益と健康のジレンマ:巨大製薬企業の原罪」の内容は、少し変えると反ワクチン側に対しても同様のことが言えそうです。利益のためにおかしなことを言っていると、「反ワクチン活動が続くのは儲かるから」といった批判が既にされています。経済方面ですが、「日本円が暴落する」という主張を繰り返して、自分が管理している外債やデリバティブに誘導しようとしている人もいます。このように、自分の利益のために行動しているという批判は、どちらの側にも言えることです。あくまで、言っている内容が妥当か否かで判断すべきです。利益になるか否かは、発言の理由の推測にはなっても内容の妥当性とは別です。

ある程度の対症療法は必要

ある程度の対症療法は必要です。例を挙げれば、発熱もそうです。昔の水銀体温計の目盛は、42度までしかありませんでした。それ以上になると、人間が死んでしまうから、意味が無かったのです。発熱は、人体の防衛反応ですが、過ぎれば生命すら損ないます。このように、人体の防衛反応が過剰で人体を損ねることは、珍しくありません。人体の防衛反応を抑制することも時には必要です。

巨大製薬企業は一枚岩ではない

巨大製薬企業は一枚岩ではありません。エントリー中では、「ビッグ・ファーマと呼ばれる」と書かれていましたが、調べたところ、ビッグ・ファーマは、10社あります。これらの10社は、お互いが競争相手のはずです。

「人々を不健康にし、病気にするという罪」とエントリーでは書かれていましたが、納得できません。それは、巨大製薬企業を信用するからではなく、そんなことをして、巨大製薬企業に何の利益があるのか疑問だからです。ある巨大製薬企業が「人々を不健康にし、病気にする」ことにより、他の巨大製薬企業を儲けさせる意味は、ありません。ある巨大製薬企業が「人々を不健康にし、病気にする」ことにより、その巨大製薬企業自身が儲けられてこそ、「人々を不健康にし、病気にする」意味が、あります。ある巨大製薬企業が「人々を不健康にし、病気にする」としたら、他の巨大製薬企業のために、「人々を不健康にし、病気にする」ことになってしまいます。

巨大製薬企業同士だけではありません。巨大製薬企業内部でも、利益は相反することがあります。ワクチン部門と治療薬部門等がそうです。もし、非常に効果的なワクチンがあれば、治療薬の必要性は乏しくなります。逆に、非常に効果的な治療薬があれば、ワクチンの必要性が乏しくなります。

また、「反ワクチン活動が続くのは儲かるから」の中で、「一般論として世の中に出てくるワクチンは当初開発に取りかかったワクチンのわずか4%です」と書かれています。調べた限りでは、多少の上下はありますが、世の中に出てくるのは、開発したものの1割以下くらいのようです。つまり、開発はほぼ全て失敗しているということです。失敗する確率が高過ぎるワクチン開発に、巨大製薬企業のトップが心中するわけにはいきません。

むしろ、「深刻な副作用等が見つかったワクチンは、トップが切り捨てる」と考えるべきでしょう。もちろん、人間は常に合理的な正しい思考をするわけではありません。しかし、非合理な誤った思考をすると決めつけるのは、もっと問題でしょう。