同じ商品という大ウソ

商品1個ごとにレジに並び直す?」で、ミクロ経済学が移動等の取引に付随する費用(以下、移動等の費用)を無視していると批判しました。移動等の費用を無視することにより、更に問題が生じています。

異なる商品と見なすべきものを同じ商品と見なしてしまっていることです。異なる商品、もしくは同じ商品だが取引条件が異なるものと見なすべきものを単に同じ商品と見なしています。完全競争市場はこの代表です。なお、このエントリーでも、特に断らない限り、時間等も費用に含めます。

異なる商品を一緒にしている完全競争市場

異なる商品と見なすべきものを同じ商品と見なしてるのが、完全競争市場です。完全競争市場は、異なる商品を一緒にすることにより、理論が成り立っています。

本来ならば、需要家にとって供給者までの移動等の費用が発生するため、物理的に同じ商品であっても、異なる供給者の商品は異なる商品として扱う必要があります。同じ商品として扱って良いのは、あくまでそれを入手してからです。だが、そうすると、個々の需要家にとっては、同じ商品が、ある一つの供給者からしかられなくなるので、完全競争市場は、成り立たなくなります。

重要な取引条件である移動等の費用を無視すると、商品の区別が変わってしまいます。

重要な取引条件を無視すると、商品の区別が変わってしまうことがわかるのが、新幹線の指定席です。東海道新幹線の指定席は、一般にE席(グリーン車ではD席)から売れていくことが知られています。東海道新幹線の指定席の需要家にとって、一般にE席の方が価値があるからです。富士山が見易い窓際が好まれるからだと推測されています。眺めという要素を含めると、E席の方が価値があるということです。供給者側が価格差を付けないのは、眺めの価値が主観的なことや悪天候時の払い戻しの手間を考慮したのかもしれません。

完全競争市場においては、移動等の費用を無視しているから、同じ商品が無数の供給者から供給されるという仮定が妥当なものになります。しかし、移動等の費用を考慮に入れると、ある需要家にとって、同じ商品は、実質、同じ供給者からしか供給されないことになります。したがって、ある商品は、需要家から見ると、ある供給者からのみ買えることになります。つまり、現実の経済は、小さな独占市場の集まりということになります。独占市場の境界付近では、いわゆる裁定取引が成り立ち得るので、厳密な独占市場の集まりとは、やや違います。

各々の需要家が供給者を無差別に扱っていないこと、それにより商品を無差別に扱っていないことは、各々の需要家が特定の供給者からしか買っていないことで証明できます。供給者の変更は需要家の移動等で説明でき、理屈の上では、各々の需要家は一人の供給者からしか買っていないように見なせます。

商品について物理的な面から見なして、全体を俯瞰的に見る視点と、各々の需要家における、移動等の費用を含めた買う費用からの視点とでは、同じ商品か否かが異なります。各々の需要家における視点から市場が説明できなければなりません。

現実の経済では供給曲線は存在しない

独占市場では、供給者は需要の限度に直面し、供給曲線は存在しないことが、ミクロ経済学でも知られています。同様に、需要の限度に各供給者が直面するため、現実の経済では、一般に供給曲線は存在しません。経営分析の基本の一つである損益分岐点分析では、直線で近似します。一般に売れば売るほど利益が増えます。供給する数量を制限するのは、需要の限度であって、供給者側の費用の増加ではありません。

補足

同じ商品か否かといった分類が、各人の価値観に基づいた、ある意味主観的なものであることは、みにくいアヒルの子の定理と呼ばれる定理により、証明されています。純粋に客観的には、「アヒルの子同士」の類似度と「アヒルの子と白鳥の子」の類似度は同じになるという定理です。純粋に客観的にはあらゆるものが同程度似ている、という、ある意味凄まじい定理です。1969年に渡辺慧が提唱した定理ですが、人工知能機械学習が、この定理に直面するため、最近、話題になることが増えています。

また、このエントリーでは、一般的な商品の市場について想定しています。株式等の取引所を介する商品の市場や、労働市場のような供給者の方が需要家より多い市場は、別に扱う必要があるでしょう。