需要の和や供給の和は客観的に計算できない

需要の和や供給の和は客観的な計算ができない』と書きましたが、これを詳細に説明してみましょう。

需要曲線や供給曲線は、ミクロ経済学の教科書の冒頭に出てきますが、需要の和や供給の和を計算するには、3点ほど、問題があります。

  • 値を足し合わせることができるとは限らない
  • 需要の数量の和と需要の和の数量は同じとは限らない。供給についても同様
  • 『同じ商品』か否かを客観的に区別する基準は一般的に存在しない

値を足し合わせることができるとは限らない

値を足し合わせることができるとは限りません。60℃の湯1㍑と40℃の湯1㍑を一緒にすると100℃の湯2㍑になって沸騰したりはしません。

需要の数量の和と需要の和の数量は同じとは限らない。供給についても同様

値を足し合わせることができても、需要の数量の和と需要の和の数量は同じとは限りません。供給についても同様です。力の和は計算できますが、1Nの力と1Nの力の和が2Nとは限りません。力は、ベクトル量であり、方向性を持ちます。方向の異なる力の和の大きさは、力の大きさの和より小さくなります。

需要や供給は、単純なベクトル量ではありませんが、方向性を持ちます。供給者から需要家への供給の数量と需要家から供給者への供給の数量は同じではありません。

『同じ商品』か否かを客観的に区別する基準は一般的に存在しない

最大と言っていい問題は、『同じ商品』か否かを客観的に区別する基準は一般的に存在しないということです。需要の数量とか供給の数量とかは、同じ商品であってのことです。ところが、同じ商品か否かを客観的に区別する基準は、一般に存在しません。セント・バーナード1匹とチワワ1匹なのか、イヌ2匹なのか、どちらが正しいか、客観的に決定できません。

供給者と需要家が同じ商品であると合意がとれているというのは、個々の取引においてに過ぎません。異なる取引においては、同じ商品であるという合意がとれる保証はありません。

実は、『同じ商品』以前に、『同じモノ』という客観的基準が存在しません。『醜いアヒルの子の定理』という数学の定理があります。純粋に客観的に観ると、醜いアヒルの子と普通のアヒルの子の類似度は、普通のアヒルの子同士の類似度に等しいという定理です。醜いアヒルの子と普通のアヒルの子より、普通のアヒルの子同士の方が似ているのは、特徴点に主観的に重み付けをしているからです。

『同じ商品』、『同じモノ』という分類は、特徴点の主観的重み付けの反映であり、ある種の価値判断の結果です。『同じ商品』、『同じモノ』という分類が絶対性を持つということは、絶対的な価値を仮定することになります。しかし、絶対的な価値というものは、一般に否定されており、経済学においても一般に否定されています。