『ミクロ経済学には基礎が無い』を補足、拡張して、説明し直します。
失われた30年などと呼ばれ、長い不況が続いています。この原因はなんでしょうか?私は、その最たるモノは、ミクロ経済学の基礎にある間違いのせいだと考えています。間違った経済学による間違った経済政策。それが、日本をどん底に引きずり込んでいるのです。ここでは、家計や企業等の経済主体を基にしたものをミクロ経済と、経済主体を基にした学問をミクロ経済学と見なしています。
ミクロ経済学において基礎的に間違っている点を2点ほど挙げましょう。
- 需要の和や供給の和は客観的な計算ができない
- 一般に、ミクロ経済の判断には取引に付随する費用も必要
需要の和や供給の和は客観的な計算ができない
需要の和や供給の和は、完全には客観的に計算できるものではありません。そもそも、値を足し合わせることができるということが自明ではありません。60℃の湯1㍑と40℃の湯1㍑を一緒にすると100℃の湯2㍑になって沸騰したりはしません。
『同じ商品』でなければ、需要の和や供給の和は計算できません。しかし、『同じ商品』か否かは、完全には客観的に判断できません。セント・バーナード1匹とチワワ1匹なのか、イヌ2匹なのか、どちらが正しいか、客観的に決定できません。
一般に、ミクロ経済の判断には取引に付随する費用も必要
一般に、ミクロ経済の判断には取引に付随する費用(含む時間等)も必要です。価格のみで、取引に付随する費用を省略した部分均衡モデルや一般均衡モデルは、現実の経済では、一般に使い物になりません。
ニュートン力学等では、摩擦の無い運動や完全黒体、理想気体等の理想化・抽象化したモデルを使っています。そういう反論があるかもしれません。しかし、これらは、考慮すべき作用が同時で相互の依存性が無いものです。
相互に依存性が無い場合は、理想化・抽象化したモデルで考え、その後でモデルから外れる作用を追加しても構いません。合成関数の交換が成り立つ、例外的な場合と言えます。しかし、依存性がある場合は、合成関数の交換法則は、一般に成り立たないため、計算の順序が変わらないように、取引に付随する費用も現実の費用と同様に扱う必要があります。
理想化・抽象化したモデルで考えるということは、順序の異なる計算をするということです。交換法則が成り立つ例外的な場合でなければ、許されません。
取引に付随する費用を省略したモデルは、一般に、取引に付随する費用の無い思考実験でしか扱えません。