結果の平等
以上のように考えると、最もフェアな税金とは何かが明らかになろう。それは全ての国民が同じ金額の税金を払うことである。
結果の平等の観点から「最もフェアな税金とは、全ての国民が税引き後の金額が同じになるように税金を払うことである」と考えることだってできるのだが……。もし、所得の高低が全て本人に責任があるというのなら、全ての国民が同じ金額の税金を払う、人頭税のようなやり方もあるだろう。しかし、実際には、所得の高低は本人に責任が無い要素で決まる部分も多い。本人に責任が無いことまで義務を負わせるのは悪平等である。
不完全な機会の平等
現実は完全な機会の平等とはほど遠いし、それが実現できる見込みも皆無に近い。完全な機会の平等を実現するためには、相続を禁止し、子供の養育を完全に親から切り離す必要があるだろう。
運という要素は無視できない
成功、不成功には、運によるものも大きい。もし仮に、成功、不成功が運によるものだけだとしたら、「税引き後の金額が同じになるように税金を払う」ことこそが、最もフェアな税金ということになるだろう。もちろん、成功、不成功が運によるものだけと主張するつもりは無いが、運という要素を考慮に入れると、税を公平にするためには、「税引き後の金額が同じになるように税金を払う」に近づける必要がある。すなわち、税を累進的にする必要がある。
優れすぎているという不運
不運には、優れすぎているというケースもある。進みすぎていたため、それを適切に評価できる人間がいなかった。そういう例は芸術や科学の世界では珍しいことではない。例えば、以下のような話はよく知られている。
間違っていても運が良ければ儲けられる
コッホとは全く逆のケースもある。最近では、サブプライム・ローンにおける格付け会社や金融機関がそうだ。彼らは、サブプライム・ローンが崩壊するまで高い利益をあげることができたが、それは、単に運良く彼らの間違いにまだ気づかれていなかったということにすぎない。
このように頑張る人、果敢にリスクに挑戦する人を税制で罰していては、国は早晩滅びよう。
単に運がいいだけの人々を甘やかすことの方がはるかに国にとって害になるだろう。運がいい人々の絶対数は少ないが、運がいいだけの人々を甘やかすことは、社会を支えている、地道に努力している人々の士気を低下させる。それは、ゆっくりとだが社会を蝕んでいく。