作り変えられていく歴史(2)

例外中の例外」は言い過ぎだったと思いますが、1980年代はアセンブラが主というのもごく一部しか見ていない意見でしょう。

ん〜その言語が発表されるやいなや、普及したと勘違いしてるんじゃ?実態を考慮していない。たとえばAdaってほとんど普及しなかったし、1983年は言語仕様が決まっただけで、そこからコンパイラとか開発をして、技術者とかの教育も始めたのだし。日本でAdaを実用的に使ってるとこなんてあったのだろうか。アメリカだって国防総省に納品するものぐらいじゃ?

Adaは、アメリカでもたいして普及しませんでしたが、それは、既に確立していた高級言語を使用した開発環境を他の言語からAdaに変更するだけのメリットに乏しかったからです。Ada以外の高級言語を使っていただけです。

Microsoft Cの1.0(Lattice CのOEM)が登場したのは1983年で、当時もまだアセンブラで開発されているソフトは多かった。当時はCコンパイラの性能も現在ほど良くなかったので、C言語で書くと効率が悪いんだよね。それを実行するCPUも非力だった。ちょっと大きなプログラムをコンパイルさせるとメモリ不足でコンパイルできなかったり。もちろん中間ファイルはフロッピーやHDDに吐き出すのだが、コンパイラのオンメモリの作業領域が足りなくなる。640KBがメインメモリのMS-DOS上で動いてたから。後になってプロテクトモードで動かすDOS-Extender上で動くCコンパイラも出てきたけれど。

パソコンはそうでしょうが、1980年代初めって15ビットパソコンが登場し始めた頃でやっとビジネスにパソコンが使えるようになってきた頃です。この頃の主力は、メインフレームやミニコンで、それらでは、COBOLFORTRANが主に使われていました。LexやYaccUNIX上のツールとしてほぼ無償で配布されていたため、高度な最適化を考えなければコンパイラの開発はさほど難しいものではありませんでした。