供給曲線は成り立たない(3)

「供給曲線が成り立たない」ということを整理してみよう。

均衡モデルにおける供給曲線においては、価格により供給量が一意に決まる。それに対して、トヨタ生産方式や『ザ・ゴール』で有名になったTOCでは、売れた分だけ作ることを、すなわち需要量に一致するように供給量を決めることが要求される。トヨタ生産方式TOCでは、価格により供給量を一意に決めたりはできない。供給曲線が、売れ残りが起きない、売れ残りを考慮しなくていい、経済を前提にしているのに対して、トヨタ生産方式TOCは、売れ残りの有り得る経済を前提にしているからである。
均衡モデルが、取引相手を選択しない株式市場のような取引所をモデルとしているのに対して、トヨタ生産方式TOCは、一般の、取引に先立って取引相手を選択する取引をモデルとしていることが、この前提の違いとなっている。

主流派の近代経済学では「企業は利潤を最大化するように行動する」と考える。供給曲線もこれを前提としている。この前提はとりあえず正しいとしておこう。企業における利潤と販売量の関係には以下のような式が成り立つ。

利潤 = 価格×販売量 − 生産費用

販売量は、需要量と生産量(供給量)とのどちらか小さい方で決まる。供給される以上に買うことはできないし、需要以上に売ることもできない。生産費用は、よほど特殊な条件がない限り生産量に応じて増える。したがって、生産量と利潤との関係は図のような山形の曲線となる。図の左側では生産量が不足しているために利潤が下がる。右側では生産量が過剰なために利潤が下がる。全く売れない場合は、生産量ゼロの時に利潤が最大(損失が最小)となる。このように、生産量だけでは利潤は決まらない。

生産量だけで利潤が決まるかのように扱えるのは、図の左側の時だけである。図の右側では作れば作るほど利潤は低下する。

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供給曲線では、企業の状態が常に図の左側にあるかのように行動すると仮定している。しかし、現実の経済では、コンビニにおける弁当の廃棄が問題になるように、図の右側にあることは珍しくない。考えてみれば当たり前の話で、利潤が最大になるよう頂点付近に企業があれば少しずれただけで図の右側に位置してしまう。

なぜ、供給曲線では、企業の状態が常に図の左側にあるかのように、売れ残りが起きないかのように行動するということになるのだろう。それは、均衡モデルが、取引相手を選択しない株式市場のような取引所をモデルとしているからである。一般の取引では、取引相手の選択は極めて重要な問題であり、選択が不適切だと詐欺にあうリスクがある。そのため、取引に先立って取引相手の選択が行われる。しかし、株式市場などでは、誰に売るか、誰から買うかは、取引所が勝手に決め、取引成立と同時に取引相手が決まる。

一般の取引では取引相手を選択してから取引を行う。多くの場合、買い手が売り手を選択する。それに対して、均衡モデルでは、取引成立と同時に取引相手が決まり、取引相手を選択できない。くじ引きで取引相手を選ぶといった無差別選択すら均衡モデルには無い。

取引所での取引は以下のように喩えることができる。
1つのつぼの中にたくさんの玉が入っている。買い手はつぼから無差別に玉を取り出し、取り出した玉の売り手に代金を支払う。つぼの中にはS個の玉が入っており、買い手はm個取り出す。S個のうちn個はある売り手が入れた玉である。
とすると、nやmがSに比べて非常に小さい時、その売り手の玉の売れる期待値は「nm/S」で近似できる。つまり、売り手の玉の売れる期待値はnに比例すると見なせる事になる。

一般の取引は以下のように喩えることができる。
売り手ごとにつぼがあり、たくさんの玉が入っている。買い手はつぼを選び、選んだつぼから玉を取り出し、取り出した玉の代金を売り手に支払う。全部のつぼの中には合計でS個の玉が入っており、S個のうちn個はある売り手のつぼの中の玉である。買い手はm個取り出す。1つのつぼで足りなければ、別のつぼを選び合計がmになるまで続ける。
とすると、nがm以上であれば、その売り手の玉の売れる期待値は買い手が売り手のつぼを選ぶ確率だけに依存することになる。

このように、取引に先立って取引相手を選択する一般の取引では、有限の需要を満たすように売り手は行動する。それに対して、均衡モデルが仮定している、取引成立と同時に取引相手が決まる取引所では、需要が無限にあるかのように行動することになる。

たった1つの取引所でのみしか取引ができないという均衡モデルは、市場経済モデル化したものではなく、理想的な統制経済モデル化したものと見なすべきである。