人を傷つけられない包丁は包丁ではない

新設されようとしている「不正指令電磁的記録に関する罪」における「作成罪」に関して議論が続いている。

どうも、けったいな刑法学者さんには、コンピュータ技術に関して過大な期待があるように思える。

法案は、プログラムが技術的にどのように動作するのかといった仕組みを熟知して電子計算機を使用するわけではなく、プログラムの説明やファイル名あるいは場合によってはもっと一般的な事柄(場所・状況など)によって、その動作を理解し、そのような信頼を保護しないと、普通の人たちがコンピュータを利用できなくなるということを前提にしているのです。

現在のほとんどのOSにおいて、「プログラムの説明やファイル名」などは、簡単に変更することができる。ある程度汎用的なコンピュータプログラムならば悪用可能である。

「そんなの実行する奴がバカ」という人たちが一般的にコンピュータを利用しているのであれば、そのような「そんなの実行する奴がバカ」を標準として判断するのだということにすぎません。ある程度リテラシーのあるひとから見れば、わかりそうなものであっても、そうではない人たちが実際にコンピュータを利用するようになってきたというのであれば、そのレベルが「コンピュータの利用に関心を持つべき社会の客観」ということになります。むしろ立法者は、そうだからこそ不正指令電磁的記録に関する罪を立法しなければならないと考えているようです。

コンピュータは刃物のようなものである。刃物をうかつに扱えば他人や自分を傷つける。だからといって、他人や自分を傷つけないように切れなくすれば刃物としての用をなさなくなる。コンピュータを切れない刃物にすればいいというのは、使い物にならなくすればいいと言っているに等しい。遠回りのようでも、リテラシーを高めていく以外に本質的な改善は望めない。OSやアプリケションプログラムに改善の余地がないというわけではないが、実施の困難さはリテラシーを高めていくのに勝るとも劣らない。