合成の誤謬を理解していない人々

合成の誤謬を理解してないのは日本のマスコミだけか

小沢民主党への期待」というエントリへのコメントの中で経済学の評価の話になり、マクロ経済学の評価として以下のような話がでた。

とくに「合成の誤謬」は知っとくべきだと思います。日本のマスコミは合成の誤謬を全く理解していないと思われるので・・・。あれを理解していない人は経済部の記者なんかやっちゃいけないと思います。

「日本のマスコミは合成の誤謬を理解していない」という意見には賛成だが、そもそも、経済学者の多くすら合成の誤謬を理解してるのか疑わしいと思う。

均衡モデルと相容れない「合成の誤謬」という概念

企業、家計といった、ある経済主体だけが行動した場合には無視できる影響が、多くの経済主体が同様に行動した場合には無視できないものと成り得る。そのため、個々の経済主体の意図とは異なる効果をもたらすことがある。これが「合成の誤謬」である。部分の和は必ずしも全体と等しくならない。
全部の企業の供給曲線を合計すれば市場全体の供給曲線となるという考え方は、部分の和が全体と等しくなるという考え方を基にしており、部分の和は必ずしも全体と等しくならないという「合成の誤謬」と相容れない。
製品の生産量を増やそうとすればその製品の原材料の需要量が増える。ある企業だけが生産量を増やした場合にはその製品の原材料の需要量の増加は無視できても、多くの企業が生産量を増やした場合には原材料の需要量の増加は無視できない。需要量の増加が無視できないということは、価格の変化が無視できないということになる。原材料の価格が変化するということは、製品の価格以外の条件は一定という供給曲線の前提が成り立たないということである。

実際、最近の原油価格の高騰に見られるように、最終的な製品の価格より原材料の価格の方が激しく高下する。「製品の価格以外の条件は一定」どころか、「製品の価格だけが一定」というのに近い。このような状況で、「製品の価格以外の条件は一定」という前提に基づいた供給曲線に従って供給量を決定するのは非合理的である。
供給曲線がほとんどの場合に成り立たないことをいくつかのエントリで主張してきたが、こうした点からも、「供給曲線」という考え方に無理があることがわかる。