虐殺魔の論理

軍人の本分がそのようなものであれば、一人のゲリラが紛れ込んだ村というのは、そのゲリラを特定して殲滅しなければ自分たちが危険であるということが論理的に帰結されるだろう。そして、その特定が出来ないとき、村人がゲリラを特定するだけの情報を与えなければ、そのことで村人が犠牲になっても仕方がないと考えるのが軍人の論理だろうと思う。

死人に口なし」のコメントなどで、上記の「軍人の論理」を「虐殺魔の論理」、とか「殺人狂の論理」と呼ぶ方がふさわしいと批判した。なぜならば、この論法では、ゲリラと無関係な村の村人を殺すことになるからである。
「一人のゲリラが紛れ込んだ」ということが、誰の目にもあきらかな事実であることは、通常ありえない。多くの場合、「一人のゲリラが紛れ込んだ」というのは軍人側の推測ということになる。戦争中における情報入手手段の限られた状況下では推測の妥当性はさほど高くならない。したがって、不正確な推測の下に行動することになる。したがって、かなり高い確率で、一人のゲリラも紛れ込んでない村をゲリラが紛れ込んだ村とみなすことになる。上記の「軍人の論理」に従えば、一人のゲリラも紛れ込んでない村の村人を犠牲にすることになる。だから、私は「虐殺魔の論理」と呼ぶのである。