{経済学][雑記]思考の「型」にとらわれる危険

パラダイムはハイリスク・ハイリターン

思考の「型」を身につけよう”というエントリを見つけました。一理あるとは思ったのですが、気になる点がいくつかありました。

大学で特定の専門分野を学ぶ意味とは、社会に出てからの思考のベース、つまりは「型」の習得なのです。決して実践的とは思えない問題を繰り返し解くことは、型稽古のようなもの。繰り返し何度も問題を解くことで、少しずつそれぞれの専門分野の「思考の型」を身につけているわけです。

その「思考の型」というかパラダイムというか、それが間違っているというリスクが常にあります。パラダイムが適切であればそれは大きな武器になりますが、逆に大きなハンデとなるリスクもあります。

「ゼロからの発想」は、基本が十二分に身についてからでよい

「ゼロからの発想」など基本的に誰もできません。そして、「思考の型」というかパラダイムは、無意識化されるため、深く身につければつけれるほど、身につけていることに気づきにくくなります。麻痺というか盲目というか、パラダイムを知覚できなくなるのです。それは、意識する必要がないという利点ともなりますが、意識できないという欠点ともなります。ある分野の初心者が大きな功績を上げることが時折あるのは、意識できないという欠点を持たないからです。化学の学士号も持っていないのにノーベル化学賞を受賞したといったことが起きるのはこのためです。

経済学が陥っているパラダイムへの麻痺

このパラダイムへの麻痺は、経済学で深刻なように見えます。
経済学には、以下のようなかなり基本的な問題がありますが、気づいて直視している経済学者は多くないようです。

  • リカードの比較優位説には論理的な間違いがある。
  • 収穫逓減の法則は、ほとんどの産業であてはまらない。
  • ほとんどの産業で、生産者は需要の制約に直面しており、生産者にとって需要は無限大とはほど遠い。
  • ごく特殊な市場を除いて、買い手は売り手を区別している。