なぜ一物多価なのか?

ミクロ経済学には、一物一価という言葉があります。一つの商品に一つの価格という、ミクロ経済学のある種の理想を表現した言葉です。しかし、現実の経済では一物多価です。むしろ、一物一価が成り立っている商品は、価格の統制が許された統制経済下にある商品です。一物一価が成り立たないのは、価格のみではなく、価格以外を含めた費用全体を経済における選択の対象としているからです。

価格のみではなく、費用全体を選択の対象としている

価格のみではなく、予想する全体の費用、期待全費用とでも呼ぶべきものが最小となるような行動を取ります。ミクロ経済学に、費用最小化の原則とか呼ばれるものがあります。この費用とは、金銭的費用だけでなく、時間等を含めた、取り引きに関わる全体の費用が対象となります。価格だけを見れば、費用最小化の原則に合っていても、全体を見れば、費用最小化の原則に合わないことはよくあります。そういう時に、経済における選択の対象となるのは、全体における費用が最小になるような行動です。

残りの費用が最小となるような選択をする

工事中とかで、途中で最初の予定が実行できないことがわかることがあります。この場合の選択は、予想する、残りの全体の費用が最小になるような選択をします。期待残費用とでも呼ぶべきものが最小となるような行動を取ります。着手前の選択については、残りが100%の場合と考えることができます。

注意する必要があるのは、ある意味、主観的な費用であることです。既に投入してしまって取り戻すことのできない費用、サンクコストとか、埋没費用と呼ばれるものに価値判断が引き摺られる、「コンコルドの誤り」とか「コンコルド効果」とか呼称されるものがあることが知られています。純粋に客観的な判断としては、サンクコストを無視することが正しくなりますが、主観は、サンクコストに引きずられがちです。

価格は費用の一つに過ぎない

価格は、取り引きに関わる全体の費用の一つに過ぎません。客観的な値が公開されているということで、多少、他の費用と違いがあったりするだけです。客観的な値が明示されていることから、他の費用よりも重視されることがあります。しかし、不確定なリスクを回避する場合等は、逆に、客観的な値が明示されている価格は、軽視されることが普通です。保険という制度が成り立つのは、不確定なリスクより、客観的な値が明示されている価格を軽視するからです。