転売が嫌われる理由

転売行為は付加価値を生まない』というエントリがあります。転売は嫌われています。その理由の一つは、売り手が完全には自由な価格で商品を提示できないからです。売り手が自由な価格で商品を提示できないという、現実の経済の弱点に転売は依存しています。そのくせ、その弱点から利益を得るという、転売は現実の経済に寄生する行為です。

売り手は完全には自由な価格で商品を提示できない

現実の経済では、売り手は完全には自由な価格で商品を提示できません。一部の商品を除き、売り手は自由な価格で商品を提示でき、買い手はその価格で買わないこと等により対応するように見えます。しかし、これは、法律上の建前に過ぎません。数学的に厳密に、売り手が自由な価格で商品を提示できるわけではありません。

もし、売り手が完全に自由な価格で商品を提示できるなら、そもそも、転売が成り立ちません。売り手がある程度以上の価格で商品を提示したら、転売する利益が無くなってしまいます。転売できるのは、売り手がある程度安い価格で商品を提示しているからです。つまり、売り手は完全には自由な価格で商品を提示できるわけではありません。

現実の経済では、売り手は完全には自由な価格で商品を提示できないことは、その対偶を考えると理解できるでしょう。

売り手が完全に自由な価格で商品を提示することは、現実の経済ではできません。例えば、買い手が買おうとした直前に売り手が価格を吊り上げるというようなことはできません。もし、そんなことが起きたとしたら、買い手はその後、その売り手から買おうとはしなくなるし、知人にもその売り手から買うなと助言するでしょう。

逆に、売り手が価格を下げて商品を提示することも完全には自由ではありません。買い手が下がった価格を知り、買おうとするまである程度の時間がかかります。従って、価格を下げただけでは、短い期間で見ると、売り上げ数量が減るだけです。その期間は、価格を下げない方がむしろ、売り上げや利益は大きくなります。

買い手が商品の価格を監視しておくことには費用がかかります。また、買い手が価格の変化を知り、購入行動を変化させることにも、時間を含め、費用がかかります。そのため、買い手は、ある程度は、商品の価格が変化しないものとして行動せざるを得ません。

価格の自由は法律上の建前

このように、売り手が自由な価格で商品を提示できるというのは、法律上の建前に過ぎません。経済学者や経済学信仰者に見られる、転売擁護は、法律上の建前としての自由を数学的な自由と錯覚したものに過ぎません。もし、本気で売り手が自由な価格で商品を提示できると考えるならば、買おうとした直前に売り手が価格を吊り上げても、淡々とそれを容認できるはずです。