供給曲線は成り立たない(4)

ブードゥー教も真っ青な均衡モデル

均衡モデルにおける供給曲線は、各生産者が需要が無限大であるかのように行動するという前提の下になりたっているが、これは論理的でない。

需要が供給より大幅に上回っていれば、生産者は需要が無限大であるかのように行動するだろうが、それは需要と供給とが一致する均衡を否定することになる。

供給が増えるに従って需要も増えると考えるのは、超自然的現象を主張することである。「供給が増えるに従って需要も増える」というのは、例えば、「パン屋がパンを多く焼けば、それだけで客が多く来て、パンが多く売れる」と主張するようなものである。 「たくさん作れば、それだけで客が増えてたくさん売れる」ということになる。まじないもしないのに、そんな都合のいいことが勝手に起きると考えるのに比べれば、まじないにより思い通りになると考えるブードゥー教の方がよほど筋が通っている。

「たくさん作れば、たくさん売れる」というのは、取引所が仲介してくれる場合には成り立っても、通常の取引においては成り立たない。取引所が調整してくれる取引所での取引と違って、通常の取引においては、その生産者に対する顧客の需要以上は売ることができない。ある店において、ある期間にどれだけ売れるかは、その期間にその店に来る客の需要が上限となる。「たくさん作れば、たくさん売れる」というのは、「たくさん仕入れれば、それだけで客がたくさん来る」というのと同じである。「たくさん仕入れれば、それだけで客がたくさん来る」と主張するのならば、それを成り立たせるメカニズムを説明する必要がある。まじないというメカニズムにより説明しようとするブードゥー教の方がよほど筋が通っている。