成果主義がうまいくいかない理由

最近、成果主義に関する、記事やエントリをいくつか目にした。

成果主義は日本ではうまくいっていないが、その理由は労働市場流動性が低いからである。「労働市場流動性」という会社の外に原因があるため、この解決は困難である。

成果を高く評価されたい労働者側と、評価を低く抑えたい会社側とでは、評価に関する利益が相反する。会社側の評価にどうしても納得がいかない場合、労働者は辞めて別の会社へ移るという選択肢があるが、労働市場流動性が低いということは、この選択肢を事実上選べないということになる。そのため、労働者は不満を抱えたまま会社に残ることになる。一方で、低く評価しても労働者が会社を辞めないということは、会社側にとって高い評価をするメリットが乏しいということになり、人件費抑制のために成果の評価を低く抑えておこうということになる。

労働市場流動性が高ければ、成果の会社側の評価にどうしても納得がいかない労働者は辞めて別の会社へ移ればよい。低く評価すれば労働者が会社を辞めてしまうとなれば、高い評価も会社側にとってそれなりのメリットがあるということになり、会社側が適切な評価をする要因となる。

労働市場流動性が低くくても会社側が成果を適切に評価すればよい。そう考える人もいるかもしれないが、それは二つの理由からうまくいかない。

一つは、先に挙げたように、低く評価しても労働者が会社を辞めないということは、会社側にとって高い評価をするメリットが乏しいということである。高い評価をするメリットが乏しいため評価を低く抑えがちになる。

もう一つは、評価が本質的に主観的なものであるということである。成果主義とは、労働の成果の価値を評価し、それに基づいて賃金を決めるというものだが、価値を絶対的に決めることはできない。各人にとっての価値は、各人の価値観に左右される。そして、各人の価値観は様々であり、どの価値観が正しいといった性質のものではない。

年功序列と終身雇用(労働市場の低い流動性)とがセットだったように、成果主義あるいは能力主義労働市場の高い流動性とはセットであり、労働市場の高い流動性なしで成果主義を採用してもうまくいかない。