比較生産費説の錯覚

自由貿易には理論的根拠はない」と「リカード論理ではクジラが空を飛ぶ」をまとめて、比較生産費説批判について整理し直します。

比較優位産業に特化することにより生産量が減る?

  イギリス ポルトガル 生産量合計
布(生産量) 1単位 1単位 2単位
布(労働者数) 100人 90人  
布(生産性) 0.01単位/人 0.0111単位/人  
ワイン(生産量) 1単位 1単位 2単位
ワイン(労働者数) 120人 80人  
ワイン(生産性) 0.0083単位/人 0.0125単位/人  
労働者数合計 220人 170人  

リカードの比較生産費説では、上記の表のような条件下で各々の国が比較優位産業に特化することにより以下の表のようになると考えます。全体としては生産量が増えるので、それを貿易することにより、双方の国がメリットを得ることができるというのが比較生産費説の主張です。しかし、全く逆に、特化することにより全体として生産量が減少することがありえます。

  イギリス ポルトガル 生産量合計
布(生産量) 2.2単位 0単位 2.2単位
布(労働者数) 220人 0人  
布(生産性) 0.01単位/人 -  
ワイン(生産量) 0単位 2.125単位 2.125単位
ワイン(労働者数) 0人 170人  
ワイン(生産性) - 0.0125単位/人  
労働者数合計 220人 170人  

理屈の上では、以下の表のようになることがありえます。比較生産費説は、論理的には正しくありません*1

  イギリス ポルトガル 生産量合計
布(生産量) 1単位 0単位 1単位
布(労働者数) 220人 0人  
布(生産性) 0.0045単位/人 -  
ワイン(生産量) 0単位 1単位 1単位
ワイン(労働者数) 0人 170人  
ワイン(生産性) - 0.0059単位/人  
労働者数合計 220人 170人  

特化後の生産性はわからない

全体として生産量が減少することがありえるのは、特化することにより生産性が低下することがありえるからです。特化前にはあらわれなかった低い生産性が特化することによりあらわれるからです。

比較生産費説には差のない生産性という隠れた仮定がある

比較生産費説は、特化前の生産性として以下のようなものを前提としています。

  イギリス ポルトガル
布生産における布生産従事者の生産性 0.01単位/人 0.0111単位/人
布生産におけるワイン生産従事者の生産性 0.01単位/人 0.0111単位/人
ワイン生産における布生産従事者の生産性 0.0083単位/人 0.0125単位/人
ワイン生産におけるワイン生産従事者の生産性 0.0083単位/人 0.0125単位/人

この表は、布生産において「布生産従事者の生産性」と「ワイン生産従事者の生産性」が同等であり、ワイン生産において「ワイン生産従事者の生産性」と「布生産従事者の生産性」が同等であることになっています。比較生産費説は、同じ産業であればその産業に従事している人々も従事していない人々も同じ生産性と見なせるという、隠れた仮定があり、その仮定の下でのみ論理的に正しくなります。

実際の生産性には差がありうる

ある産業に従事している人々と従事していない人々に生産性の差がありうることを考慮すると、最初の表から導き出せる特化前の生産性は以下のようになります。

  イギリス ポルトガル
布生産における布生産従事者の生産性 0.01単位/人 0.0111単位/人
布生産におけるワイン生産従事者の生産性 不明 不明
ワイン生産における布生産従事者の生産性 不明 不明
ワイン生産におけるワイン生産従事者の生産性 0.0083単位/人 0.0125単位/人

上記の表の「不明」の欄の値をゼロと置くと、3番目の表になります。ある産業に従事している人々と従事していない人々に生産性の差がありうるという前提の下では、特化することにより生産量が減る可能性があります。

反現実的な比較生産費説の仮定

同じ産業であればその産業に従事している人々も従事していない人々も同じ生産性と見なせるという比較生産費説の仮定は現実に反しています。同じ産業であればその産業に従事している人々も従事していない人々も同じ生産性と見なせる場合としては、以下の場合が考えられますが、どちらも現実に起こりえるとは思えません。

  • ロボットのように誰もが同じ生産性の場合
  • 無差別選択で産業に従事している場合

「ロボットのように誰もが同じ生産性の場合」など考慮する必要は無いでしょう。クローン技術による人間の大量生産でもしないかぎり、人間の個人差は大きなままでしょう。
「無差別選択で産業に従事している場合」では、経済合理性を全く無視して行動していることになります。現実に起こりえるとは思えません。求職者は、自分の知識や経験、適性といったものを活かして、なるべく有利な職につこうとします。求人する側も、求職者の知識や経験、適性といったものを評価して、なるべく能力が高い者を採用しようとします。従事する産業の選択は無差別選択とは最も遠いものです。

国内における分業を無視している比較生産費説

比較生産費説の欠陥は、国内における分業を無視している点にあります。ある産業に従事している人々はその産業における生産性が高い人々であって、その産業に従事していない人々と生産性が同じということは通常考えられません。その産業に従事していない人々と生産性が同じであれば分業のメリットがありません。国と国の間では比較優位に基づく分業のメリットがあるが、国の内部では比較優位に基づく分業は行わないという、ダブルスタンダードな説が比較生産費説です。

*1:比較生産費説には、生産性が需要に左右される問題、不作や豊作による市況の変動の問題等もあります。