経済学という砂上の楼閣

そして1870年代、 限界革命を主導したひとり、レオン・ワルラスは、実際上あるいは歴史上ほとんど観察されない物々交換を出発点に、より複雑な経済関係を継ぎ足し経済学説を構築しました。その結果、静態理論とは「物々交換経済」という架空の想定に基づくため現実経済とは離れた純粋に理念的産物となりました。

経済学が現実経済とかけ離れているのは、「物々交換経済」という架空の想定のせいではなく、経済学が取引に関わるコストがゼロであることを前提としたものになっているからでしょう。現実の経済では、時間を含め、様々な取引に関わるコストがかかります。しかし、完全競争市場等の経済学のモデルには、商品の代価以外はあらわれません。

物理学などの自然科学で、単純化のために、摩擦が無い、不純物が無い、といったモデルを使うのと同じであると考える人もいるかもしれません。
しかし、大きな違いがあります。自然科学では、摩擦が無い、不純物が無い、といったモデルを*基礎*にはしますが、*前提*とはしません。摩擦が無いモデル、不純物が無いモデルを作っても、現実の自然現象について考える時は、摩擦の影響、不純物の影響を考慮します。経済学で行われるように、摩擦が無い、不純物が無い環境下での結果をそのまま当てはめるようなことはしません。

空気が無ければ木の葉も石も同じように落下します。それを基に空気があればどうなるのかを考えるのが自然科学の手法であるのに対して、いきなり、空気があっても木の葉も石も同じように落下する、と論理的飛躍を行なってしまったのが経済学です。